さかしま劇場

つれづれグランギニョル

永遠に夢のままでいて、サンタクロース

 毎年街がイルミネーションに彩られ、クリスマスソングが流れるこの時期に、家電量販店なんかで大きな荷物を片手にした大人を見ると、「サンタさんかな」と思って目で追ってしまう。同時に、自分の子供の頃のクリスマスを思い出したりもする。

 それは恵まれた、幸せなイベントで、むなしくて、あっけなく終わった夢だった。

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自分が「良い子」であるかが毎年怖かった

 僕が中学生になるまでは、クリスマスには毎年サンタクロースが来てくれていた。イブの夜は、「僕は今年も良い子にできていただろうか」とドキドキしながら、今度こそサンタの姿を目にしてやるぞと深夜に目覚ましを設定したりもするのだけど、何故か起きられずに眠ってしまって、朝起きると枕元にカラフルな包装紙にくるまれたプレゼントが置いてある。それを目にした瞬間、僕の胸に湧き上がるのは、プレゼントの中身が何かというワクワク感より、「あァ良かった、今年もサンタさんが認めてくれるような子供でいられた」という安心感だった。

 両親に今年もサンタが来てくれたことを報告したりして、プレゼントの包装紙を震える手で開いた。どこかでサンタが見ているような気がして、「大切なプレゼントを決して粗末になんか扱っていません」という態度を示すかのよう、包装紙は絶対に破いたりせずに、丁寧に丁寧に広げていた。

 そうして現れた中身は、ローラースケートだったり、ビーズだったり、キックスケータ―だったり、ハムスターだったりした。人形の洋服だった時もあった。ちゃおスララという漫画を描く玩具だった時もあった。全部全部、覚えている。けれど、いつも喜びはするのだけど、一方で毎年つのる虚しさがあったことも覚えている。

 それらは全部、親に「他に何か欲しい物はないの」と聞かれて答えたものだった。僕が一番欲しかったのは、本当は毎年いつもいつも、ゲーム機だった。けれど、サンタがプレゼントしてくれないのは当たり前だった。僕の家庭は、ゲームが禁止されていたからだ。

 

 

とにもかくにもDSがほしい

 僕が幼稚園の頃は、まだソフトを差し込んで遊ぶ携帯型ゲーム機としては、ゲームボーイくらいしか存在していなかったような気がする。しかし小学校低学年だった2004年に、ニンテンドーDSというゲーム機が登場した。二つの画面を持ち、ボタンだけではなくタッチペンでも操作できるという、それまでの携帯型ゲーム機の概念を覆すような革新的なハードで、爆発的にヒットして社会現象にまでなった。まだスマホもない時代の話であるスマートフォン普及の先駆けとなったiPhoneが登場するのは2007年だ)、画面をタッチして操作ができるというのは、今よりずっとはるかに衝撃的なことだった。

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 当然僕の周囲もみんなDSを手に入れ始める。クラスの話題はゲーム攻略の話でもちきりとなり、放課後も皆ずっとDSで遊んでいた。もともとゲームに興味の強い僕ではあったが、欲しくてたまらなくなったのは、やはりDSの登場が決定的であったように思う。DSがないと、まったくといっていいほどクラスの話題に入れなかった。

 

 それまでも、クラスの話題に入れず子供なりにつらい思いをしたことは何度もあった。家では決まったテレビ番組しか見せてもらえなかったので、クレヨンしんちゃんをちゃんと見たのは二十歳を超えてからだし、小遣いが少なくて漫画も買えず、中学生になって友達に貸してもらえるようになるまで、読んだことがある漫画は家に置いてあった風の谷のナウシカだけだった。クラスメイトを通して、親に内緒でテレビや漫画に触れられたらもう少し開放的な子供時代を過ごせたのかもしれないが、そうした小学生らしい話題を一切持っていないのでそもそもの友達作りに随分と苦労し、それで内向的になってクラスメイトとどんどん距離を置いてしまう、という悪循環を繰り返していた。

 そんな中、テレビより親の目をかいくぐりやすく、漫画より他人との交流がしやすい(DSには通信機能があり、多人数でプレイしたりチャットをすることができる)DSというゲーム機は、友達を作るのに最適な魔法のアイテムのように、当時の僕には思えた。

 

 親には毎日のように「DSが欲しい」とこぼしていたと思う。当時クラスで人気だったのはおいでよ どうぶつの森というソフトだった。これは村でのスローライフを楽しむことができる生活系のゲームなのだが、クラスメイトにプレイの様子を覗かせてもらっては、自分ならこんな家を建てるだとかこんなキャラクターを作りたいだとか、夢想しては絵を描き殴っていた。あんまりに憧れすぎて、自分がむらびと(『どうぶつの森』のプレイキャラクター)になった夢まで見たりしたから、相当重症だったと思う。あのまま親が僕にDSを与えていたら、夢中になるあまり廃人と化していたかもしれないから、そういう意味では親は正しかったのかもしれない。

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 友達の家に遊びに行くと、その子がDSをプレイしているのをずっと隣で眺めていた。後で知った話では、友達の親から「○○(友達)と遊びに来てるのかゲームを見に来てるのか分からん」と言われていたらしい。正直に答えるなら、僕は完全にゲームを見るためにその子の家に遊びに行っていました。○○ちゃん、ごめんなさい。

 その友達はファイナルファンタジーⅢ』のリメイク版ソフトを持っていたのだけど、そのオープニングが子供心にあまりに美しくて、これまた家に帰ってはイメージを絵に描き留めていたものだった。僕があまりに熱心なので、友達が親切に、というかドン引きしてゲームソフトについている説明書をくれて、そこに載っているゲームイラストは全部模写した記憶がある。天野喜孝吉田明彦が好きになったのはこれがきっかけだ。

 今になって、たまに絵が描けることを褒められることがあるが、僕は絵が上手くなりたくて練習したのではなく、ただゲームへの叶わぬ憧れを絵にぶつけていただけなので、褒められるといつも複雑な、ちょっとほろ苦い気持ちになる。


Final Fantasy III DS Opening

 それだけDSに夢を持っていて、それでも買ってもらえないを鬱憤をずっと抱えたままでいた。しまいには気持ちがやさぐれて、親が子供への愛を手紙にしたためるという学校の課題か何かがあった時(今だと相当問題になりそうだ)、それへの返事に「それだけ大切に思ってくれているなら、DSくらい買ってくれればいいと思う」なんて書いて、親に本気で蹴り飛ばされた記憶がある。当たり前である。

 

 

サンタさんなら、という希望があった

 ゲームができない、クラスの輪にも入れないという鬱屈を、親に説明したところで取り合ってもらえるワケでもない。けれど、そんな子供心につらい毎日を、サンタさんなら晴らしてくれるのではないか、という淡い希望がどこかにあった。

 誕生日プレゼントは親が選ぶものだから、ゲームは絶対に却下されてしまう。けれど、サンタなら親に内緒で、僕の本当の欲しいものを思いがけずプレゼントしてくれるかもしれない、と思ったのだった。僕がこれ以上ないほど良い子にして、その結果としてサンタがDSをプレゼントしてくれたなら、親も「それなら仕方ない」と納得してくれるかもしれない、と期待した。

 それだから、毎年クリスマスの朝になって枕元にプレゼントがあると、まず初めに大きな安堵を覚えるのだった。第一関門突破、といった気分だった。そうして、「今度こそサンタさんは僕の本当の望みを叶えてくれるだろうか」というドキドキを抱えながら、プレゼントの包みを開き、喜びと同時に落胆を覚えるのだった。あァ、今年もゲーム機じゃなかった、と。

 自分には何かが足りないのだと思った。いつも学校のテストでは満点ばかり取っていたし、成績表も誰に見せたって恥ずかしくないものだった。ピアノも毎日サボらず練習した。習い事も嫌いだったけど、ズル休みなんか絶対にしなかった。妹とは喧嘩もしたけど、良いお姉ちゃんでいようと努力した。けれどそれでも、まだ何かが足りないのだろうと思った。何が足りないのか分からなかったけれど、来年のクリスマスまでにはきっと分かってみせると、目の前のプレゼントをまずは喜ぶように努めた。

 悲しくなかったと言えば嘘になる。けれどプレゼントがもらえた以上、サンタはひとまず及第点はくれたのだと思ったし、それ以外にもクリスマスはちょっと夕飯が豪華になってケーキも食べられたから、大好きな日であることは変わりなかった。来年こそは、と気負うことは、好きなもののためならさほどつらくもなかった。サンタクロースが、僕に夢を見させてくれていた。

 

 

夢の終焉

 けれど、夢にはいつか終わりが来る。中学生になった時、親がぽろりとこう言った。

「もうアンタも分かってる思うけど、サンタって私やから」

 小学生高学年にもなれば、正直薄々分かってはいた。けれどそれは、永遠に口にしてほしくない言葉だった。親がサンタである以上、決してそんなことは起こり得ないにしろ、ネタバラシさえされなければ「もしかしたらあの時サンタにゲームをプレゼントしてもらえたかもしれないな」という夢の跡だけは残し続けられたはずだった。

 たとえ叶わなくても、たとえ嘘でも、夢を夢のままにしておきたかった気持ちに、その時僕自身初めて気が付いたのだけど、時すでに遅し。何だか僕の中で、プッツリと糸が切れてしまったような感覚がした。

 もう少し、良い子でいたいと願う努力を、盲目のまま続けさせてほしかった。そうじゃなきゃ、僕のあのゲームへの渇望を、一体どうやって慰めてやれば良いのかが分からない。本当に欲しい物への憧憬を、一体どこで眠らせてやれば良いのかが、ちっとも分からない。

 

 

インナーチャイルドが癒えない

 十年以上も前のことをこれだけ粘着質に仔細まで覚えていて、さすがに成長できていなさすぎる自分が気持ち悪いなと思う。いまだに僕のインナーチャイルドが、ゲームをこっそりプレゼントしてくれるサンタクロースを待っていて、でももう僕の本当の欲しい物がゲームであった時期は過ぎ去ってしまって、永遠に心の中から消えてくれない。

 全国の親御さんに言いたいのは、まァ様々な教育方針があるとは思うけれど、過剰な抑圧はあまりオススメしない、ということだ。僕はテレビも漫画もゲームも管理された家庭で育ったけれど、残念ながら立派な不良になったし、社会に迎合できない、どちらかといえば不適合者としてズルズル生き永らえている。何事もほどほどに……それが一番難しいのだろうけど、ほどほどってどのくらいかな、くらいの心づもりがちょうどなんじゃない、なんて無責任なことを思ったりする。

 今日、全国の子供たちのもとに届いたプレゼントが、親のエゴではない、子供たちの本当に欲しかったものでありますように。

 子供たちのサンタクロースが、永遠にひとつのあたたかい夢であり続けますように。

 クリスマス色に染まった街を眺めながら、毎年そんなことを願ったりする。

 

 

おまけ

 ちなみに中学生になるまで『風の谷のナウシカ』しか読めなかった、とまるで不満であるかのような書き方をしてしまったが、『風の谷のナウシカ』は今でも僕の骨子になっているくらい大好きな超名作なので、映画しか見ていない人は漫画の方も読んでほしい。映画では漫画の1、2巻あたりのストーリーまでしか描かれていないが、漫画はそのあともっと壮大かつ複雑に物語が展開してゆき、戦争とは?宗教とは?人間とは?生命とは?そのすべてを考えさせられる、宮崎駿のひとつの精神世界ともいえる世界が繰り広げられる。

 お子様のより良き情緒教育に、思索の糧に、一家に一セット。来年のクリスマスプレゼントに悩んだら、是非『風の谷のナウシカ』をどうぞ。

風の谷のナウシカ 全7巻箱入りセット「トルメキア戦役バージョン」

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