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『ミッドサマー』で浄化された話 その③魅惑の死体編

 『ミッドサマー』を観てハラハラドキドキするつもりが、不覚にも無限の浄化作用を受けて帰ってきてしまった人が語る、『ミッドサマー』解説と感想の記事です。

 今回は、

 といった5つのトピックの内、その③「魅惑の死体」について書いていこうと思います。①②を未読の方は、上記のリストから飛べますので、まずはそちらから読んでいただけると分かりやすいかもしれません。

 

 

 

魅惑の死体

 時に「死」というものは強い魅力を放ちますが、『ミッドサマー』でも人が死んで、というよりは殺されて、色々な形で遺体が出てきます。

 今回はその中でも特に、個人的にこれは!と思った遺体について言及したいと思います。

 

 

拷問「血の鷲(Blood Eagle)」を受けたサイモン

 まずひとつめは、村人の私刑を受けた、サイモンの遺体です。正確に言うと遺体ではなく、まだ生きていて、このまま放置したらのちに死ぬだろう、という状態なんですけど。

 彼は発見された時「血の鷲(Blood Eagle)」呼ばれる拷問を受けた状態でした。

 犠牲者をうつぶせに寝かせて、生きたまま背中の皮を剥ぎ、肋骨を剥がし、両サイドに広げる。するとそれが広げた翼に見えるので、「血の鷲」と呼ばれているそうです。『ミッドサマー』では肺も体外に出されていますね。

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 例えば人を丸焼きにする「ファラリスの牡牛」だとか、男性器を切り落とす「ワニのペンチ」だとか、動物名が付いている拷問方法はすべて拷問の器具がその形をしていたからですが、

 「血の鷲」というネーミングは器具ではなく人体そのものを動物に見立てているので、なかなか洒落が利いています(ブラックすぎるけど)

 『ミッドサマー』公式サイトのネタバレぺージによると、その昔、父を殺されたバイキングの王が復讐のために行ったという記録があるそうです。まァそれが史実かどうかはわかりませんが、かなり猟奇的な処刑方法です。見せしめ的な意味もあったんだろうと思います。

 

 この拷問方法について調べていたら、『Vikings』というカナダのTVドラマシリーズを発見しました。

 9世紀に西ヨーロッパ諸国をおびやかした、凶暴なヴァイキング王にして伝説の英雄、ラグナル・ロズブローグを主人公にした歴史ドラマだそうですが、ここにも「血の鷲」の処刑シーンが登場します。

 ※グロテスクなので苦手な方は閲覧注意。

youtu.be

 この『Vikings』、むちゃくちゃクオリティが高くて面白そうだな~と思っていたら、日本でもAmazon Primeでシーズン5まで観れるみたいです。やったねたえちゃん!血の鷲が見られるよ!(観ます)

www.amazon.co.jp

 

 『ミッドサマー』のサイモンが発見された時、体外に出された肺がわずかながら動いていました。つまりまだ彼は生きていたということなんですが、はたしてあんなことをされても人間は生きてられるのか?という疑問がちょっと浮かんだり。

 で、帰宅してから手元の本で調べてたりしてみたんですが、マルタン・モネスティエの著書『死刑全書』に解体の刑罰がいろいろ紹介されていて(ここに『血の鷲』は載ってないんですが)、

図説 死刑全書

図説 死刑全書

 

  この中で、かつて北京のフランス公使館につとめていたマティニョン博士というひとが残した、19世紀末の中国の解体刑についての記録が紹介されています。

 要約すると、「慣習に従って罪人が順番に切り刻まれていくが、数時間後に罪人が死んだ時にはすでにその体はバラバラだった」といったような内容で、

 つまり裏を返せば、ほとんどバラバラになるまで受刑者は生きていた、ということなんですよね。

 解剖学を持つ処刑人がやれば、受刑者はわりと生きているのかもしれませんね。

 

 あとネットの記事によれば、古来の解体刑は身体を大きく切り開いて内臓を取り出していくようなものだったのが、これだと受刑者は身体を切りさかれた段階で出血死やショック死をしてしまって拷問の意味がない。そこで次第に、身体は手が入る程度だけ切り、そこに処刑人が手を差し込んで、内臓を引き出していくという方法が編み出されていったとか。

 内臓には痛覚がないので、出血量に気を付けさえすれば、かなりの内臓を引きぬくまで受刑者は気絶することも死ぬこともなかったそうです。

 

 『ミッドサマー』作中でも、後半の方で大人が子供に向かって、熊の解体処理について詳しく教えているシーンがあります。あんな感じで、動物のみならず人間の解体にも長けた人が、ホルガ村にもいるのかもしれません。

 

 

 

 

飾り付けられた生贄の美しさ

 『ミッドサマー』のラストでは、村人と旅行者合わせて9人の人間が生贄に捧げられますが、このうちの4人はすでに死んでいます。

 ちなみに、このラストのシーンでロンドンから来た旅行者であったコニーの死体が濡れていたのは、彼女が溺死させられたから、らしいですね。

  僕が見たのは148分の通常版だったのですが、171分あるディレクターズカット版には、コニーが溺死させられる儀式が描かれているそうです。何故初めからディレクターズカット版を上映してくれないのか。

 

 生贄の死体はどれもある程度解体されていて、例えば下半身を切り株に、両腕を木の枝に置き換えられていたり、革を剥いで中に草が詰め込まれていたり、目に花が差し込まれていたり(これは先程紹介した「血の鷲」の拷問を受けたサイモンの死体なんですが)しています。

 これを見て思わず想起したのが、ジョエル・ピーター・ウィトキンの名前でした。

 

 ジョエルピーターウィトキン(Joel-Peter Witkin)アメリカのアウトサイダー系の写真家なんですが、その作品作りのひとつに、死体を飾り付けて、時に宗教画っぽく、時にヴァニタス画っぽく撮るという手法があって、非常にダークな美しさを持っています。

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まるで絵画のような、飾り付けられた遺体の頭部

 

 『ミッドサマー』の生贄の死体には、同じインモラルな美しさがありました。もっと全体像をしっかりと見たかった。火をつけた瞬間思わず「燃やさないで!」と思ってしまったり。

 ウィトキンの写真に惹かれる人は、『ミッドサマー』の生贄がどういう風に飾り付けられて美しいか、というところにゼヒ注目していただきたいです。

 

 

 

「死を通して死以上のものを見(魅)せる」ということ

 一応付け足しておきたいことは、「『ミッドサマー』はグロい死体がいっぱい出てくるから面白いよ!」と言いたいワケでは決してない、ということです。死体が出てくる映画はそれこそ死ぬほど存在します。ショッキングなゴア表現を求めるだけなら、『SAW』とかブレインデッドとかセルビアンフィルム』とか観た方がよっぽど満足度は高いと思います。

 ウィトキンの写真も、見る側の死体や奇形への好奇心を刺激することだけが目的ならば、ただド派手な死体をド派手な色彩で撮れば済むはずです。しかし彼の写真は、そうしたタブーとされがちなモチーフを、神話や西洋美術のフィルターを通して、暗黙のメッセージ、新たなイメージを内包した作品へ昇華しているからこそ、見る側を真に惹き付けています。

 『ミッドサマー』も、ただショッキングな作品にしたいのなら、「ホルガ村の狂人たちが旅行者を大虐殺!」みたいな筋書のスプラッターにしたはずですが、実際はそうではありません。この映画で繰り広げられる「グロテスク」の中心を、生命を賭した信仰が貫いているからこそ、この作品は恐ろしくもありながら、一方で邪悪な魅力を持った仕上がりになっています。

 現代社会の中でなら狂気と呼ばれるかもしれないホルガ村での惨劇の数々が、僕の中でただの衝撃に終始せず、不思議な浄化作用までもたらしたのは、『ミッドサマー』にそうした美しさがあったからなのかな、と思っています。

 

 余談ですが、「グロいけど何故か浄化された」作品といえば、マーターズを観た時にも過去に同じ感想を抱いた記憶があります。

 『ミッドサマー』なんてかわいく見えるレベルのトラウマ級ゴア映画ですが、このマーターズもまた、カルト宗教の理想のために人がヒドイ目に合う、というストーリーなんですよね。

 信念があれば人をボコしてもイイ!というワケではありませんが、信念があればどこまでも残酷になれる人間の狂気に惹かれるのかもしれません。

 

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 その④「これはメンヘラの救済映画」に続きます。

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