さかしま劇場

つれづれグランギニョル

ツレがインドのVISAに落ちてイミグレで強制送還された話

 11月から12月にかけて約3週間ほど、インドを旅行していた。

 本当は今年頭に敢行する予定だったのが、病気をしてしまったため延期となり、10ヵ月越しにしてようやく叶った旅だった。インドに訪れるのはもちろん、3週間という長さにわたる海外旅行自体、人生初めてのことだったので、行く前は不安も大きかったが、何やかんやありながらも無事に終えることができて良かった。旅中の思い出はまた別の機会にゆっくり書いていきたいと思っているが、今回の旅は入国で随分とトラブってしまったため、ここではその顛末を語ろうと思う。タイトル通り、「ツレがインドのイミグレ(入国審査)で強制送還された」のである。

 

 

 

 

e-VISAの審査に落ちたツレ

 ことの発端は11月にさかのぼる。

 インドはVISAが必要な国だ。事前に大使館に行くか、インターネットからe-VISAというものを申し込んで、VISAを取得しておかなければならない。そのことは何ヵ月も前からずっと知っていたのだが、何でも自転車操業な僕とツレは、出発の1週間前まで何も手を付けていなかった。こんなにもダラダラしていなければ強制送還なんて大事には至らなかったかもしれないので反省しているが、悠長になっていた理由も一応あって、というのも、e-VISAなら爆速で取得できると過去の海外旅行経験で知っていたからだった。確かカンボジアのVISAをe-VISAで取得した時は、半日くらいで審査が通ったと思う。もちろん国によってVISAの通りやすさや通るまでにかかる日数は異なると思うので、他国でも同じだろうと高を括るのは危険だが、僕は無謀にもインドVISAもそのくらいで取れるだろうと胡坐をかいていたのである。

 結論から言うと、インドもe-VISAを申請してから審査が通るまで、1日ほどしかかからなかったので、早いのは確かであった。しかしもし審査が通らなかった場合のリカバリを考えると、やはりVISA申請はできる限り早めに着手しておきたい。再申請手続きが申請時と同様、迅速であるかどうかは分からないからである。

 

 さて、出国一週間前になってようやく重い腰をあげた僕とツレは、ふたりで照らし合わせながらe-VISAの申請手続きに取り掛かった。ミスのないよう確認し合いながら、互いに自分のフォームに入力していったのである。この時に、僕をツレの、あるいはツレを僕の「同行者」としてまとめて申請していれば、後述のようなトラブルには至らなかったのかもしれないが、そうした一括申請の方法があることに気が付かなかった僕たちは、それぞれ別個人としてe-VISA申請を提出した。夜にデータ送信して、翌朝には審査の結果がメールで返って来ていたと思う。審査結果はこうであった。

 僕は通ったが、ツレが審査に落ちた

 何故だ。ふたりで照らし合わせて、同じように入力して申請したのに、何故僕だけが選ばれし者みたいになっているんだ。念のために言っておくが、ツレには入国を危険視されるような渡航歴や犯罪歴は一切ない。ごくごく一般人である。初めは理不尽な審査結果にゲラゲラ笑っていたが、すぐにこれは笑い事でないと我に返る。何故ならその時点で、もう出国が5日前くらいに迫っていたからである。

 落ちた理由があるとすれば、僕とツレの入力内容が異なっている箇所だろうと、e-VISAの入力事項を確認した。生年月日やパスポート番号で引っ掛かるはずがないので、原因があるとすれば職業欄である。僕はここにWorkerと記入していたが、ツレはWriterと記入していたのである。国内情勢について色々書かれたくないがために職業ライターに目を付けている国もあるので、可能性としては低そうだが、インドがそうした理由でツレを弾いたということはひとつ考えられた。また、ネットで調べたところ、同じように職業ライターとしてVISAを書類申請したら、観光ビザでなく商用ビザにするよう大使館に指示されたという人の記事を見かけた。今回の僕たちも当たり前のように観光ビザで申請していたので、そこでライターであるツレだけが引っ掛かったのかもしれない。

 ツレはすぐにネットを通して再審査依頼を提出したe-VISAの審査結果に不服がある場合、再審査の依頼をすることができる)。が、半日そこらで返って来た結果は同じ「不許可」であった。もう時間がない。こうなったら大使館に行くしかない。僕たちは翌日、ふたりで千代田区にあるインド大使館へ向かった。

 僕はそばにあった喫茶店でツレが手続きを終えるのを待っていたのだが、1時間ほどして喫茶店にやって来たツレは今にも死ぬんじゃないかというくらい青い顔をしていて、事態が芳しくないことはすぐに察した。ツレが言うには、そもそも取り合ってももらえなかったという。大使館はあくまで通常のVISAを取り扱っているので、e-VISAは管轄外だと言われたらしい。それが本当なら、e-VISAで落ちた人はもはや泣き寝入りするしかないのだろうか。事実なのか、スタッフのアタリが悪かっただけなのかは分からないが、門前払いを食らってしまったのでその日はもうどうしようもない。帰宅してすぐに、ツレはダメ元でもう一度再審査を申請したそうだが(随分と長い嘆願書を書いたらしい)、結果はやはり覆らなかった。

 書類によるVISA申請という定番の方法は残っているが、そんなアナログな方法では、例え審査に通ったとしてもVISA発行までとても残り日数が足りない。そこで、他に何とかVISAを取得する方法がないか、血眼になってネットで検索した。すると、「アライバルビザ(到着時ビザ)という手が残されていることが分かった。日印の友好関係を背景に2016年3月から始まった新しいVISA取得法で、世界でも日本と韓国にのみ許された方法らしい。

www.mag2.com

 これだ。というか、もうこれしか残されていない。背水の陣とはまさにこのことである。アライバルビザの申請書自体はネットからダウンロードできるため、ツレにそれを印刷してもらい、あらかじめ記入した上で日本を出立した。ひとりはVISAアリ、もうひとりはVISAナシという状況でインドに向かったのである。無謀を地で行く有様だ。

 

 

コーチンの悲劇

 今回のインドへの空路は以下の通りであった。まず成田からマレーシアのクアラルンプールへ向かい、そこからインドのコーチンで乗り継ぎ、ムンバイで入国という流れだ。このムンバイでアライバルビザを取得できれば、我々の完全勝利なのである。

 しかし、ここで僕たちは大きな勘違いをしてしまっていた。コーチンからムンバイへは、国際便でなく国内便の乗り継ぎである。つまり、僕たちがインドへ入国しなければならないのは、ムンバイではなくコーチンにおいてだったのである。これがどういうことを意味するか。インドのアライバルビザは、実はインド国内のどの空港でも取得できるワケではない。決められた6空港のみでしか取得できないのだ。インド大使館の公式ページにもこのような注意書きがある。

日本人を対象とする到着時ビザプログラムは、バンガロール、チェンナイ、デリー、ハイデラバード、コルカタ、ムンバイの6空港でのみ運用されています。 

 つまり、コーチン空港ではアライバルビザが取得できないのだ。しかしあろうことか、当時の僕たちは上記の大使館のページを読んでおらず、「図らずもコーチンでインド入国するハメになってしまったが、まァ多分いけるだろう」と呑気に入国カウンターに並んでいたのである。馬鹿である。くれぐれも後続のインド旅行者に伝えておきたいのは、リサーチは決して経験者のブログを読むことに終始せず、大使館のページも必ず確認するようにしてほしいということである。特にこうした手続き関連は時代や国際状況と共にどんどん変わっていくものなので(事実、インドのアライバルビザは2014年に一度廃止された経緯がある)、最新情報をその都度しっかりとチェックしておきたい。

 

 さて、入国審査は関係者同士でまとめることなくひとりずつ確認されるので、僕とツレはそれぞれ違うカウンターに座ったのであるが、スタッフの質問に答えている僕の視界の脇に、カウンターから立ち上がってスタッフと共にどこかへ去っていくツレの姿が見えた。最悪の事態であることはすぐに察しがついた。僕は拙い英語で、今カウンターを去っていった人物が自身の同行者であることを説明し、入国手続きを一時中断して、もと来た道を引き返した。ツレがどこに去ったか分からず随分とウロウロとして警備に不審がられたりもしたが、ようやく見つけたツレは、空港のすみっこのベンチが並んだスペースで、大量のインド人に囲まれているところであった。僕がツレと共に、空港職員たちから聞いた説明はこのような内容であった。

コーチン空港にはアライバルビザのカウンターがないので、これ以上先へ通すことはできない。我々にできるのは、ツレのひとつ前の経由地であるマレーシアのクアラルンプール空港へ、ツレを送り返すことである」

 しかもこれはVISAがない人に対してだけの特別措置なので、VISAを持っている僕は入国を済まさなければならないという。ツレと共に、マレーシアに引き返すことはできないのだ。

 とんでもないことになった、と湧き汗びっしょりであった。3週間の夢のインド旅行が、入国前に終了してしまうのか、とさすがの僕もめげかけた。不安は山ほどあったが、言われた通りにする以外他に方法があるワケでもなく、またムンバイ行の便の出発時間も迫っていたので、職員らのアドバイスを受けて僕たちは以下のように取り決めた。

  • 僕は当初の予定通りムンバイまで移動し、予約しているホテルで待機する。
  • ツレはマレーシアに引き返し、クアラルンプールから直接ムンバイに行く飛行機を取って、ムンバイから入国する。

 そしてホテルで合流、という流れだ。

 ツレと固く抱擁を交わして、僕はひとり、深夜のコーチン空港を後にした。不安と緊張で疲れ切って、ムンバイの空港のベンチで数時間爆睡をかましたりもしたが、無事にホテルへ辿り着き、そこで2日の間ツレの到着を待ちわびていた。ツレは翌朝までコーチンに缶詰めになった後、クアラルンプールに引き返し、そこでまた丸一日缶詰めになった後、ムンバイに突撃、無事インド入国を達成した。ホテルで再会した時の感動は筆舌に尽くしがたい。気分は映画のクライマックスシーンだった、背景がこんなお間抜けな映画ないだろうけど。

 しかし僕はホテルで休息を取れていたものの、ほとんど寝ないままこのようなゾンビアタックを成し遂げたツレには本当に頭が上がらない。マレーシアでは当局から謎の圧力も受けたようで、かなり疲弊したような内容のLINEも携帯に届いたが、それでもインド旅行を遂行したいという思いから不屈のメンタルで乗り切ってくれたツレに、惜しみない拍手と感謝の念を送りたい。ツレはこの疲れがたたってか、数日後に発熱して寝込むことになる。が、それも致し方のないことである。

 

 

これからインドへ行く皆さんへ

 自らの怠惰とリサーチ不足で、今回このようなトラブルを起こしてしまい、インドのコーチン空港の職員たちには多大な迷惑をかけてしまったが、彼らはとても親身に対応してくれた。見た目こそ強面ではあるが、英語がまるで聞き取れない僕たちに、翻訳アプリを通して懇切丁寧に説明をしてくれて、心配しないで、我々は貴方の味方です、という言葉を繰り返し言い聞かせてくれた。よほど僕が泣き出しそうな顔をしていたのだろうと思う。コーチン空港に缶詰めになっていたツレには、ランチなどもご馳走してくれたそうで、彼らの親切なくして僕たちのインド旅行はなかったと思う。彼らがこのブログを目にすることはないだろうけれど、この場を借りて改めてお礼申し上げたい。

 ということで、僕たちのようなトンデモ事態に陥らないために、これからインドへ行く皆さんへは、以下のふたつのアドバイスを残しておきたいと思う。

 まずひとつめ。VISAは、書類でもインターネットでも、できる限り早めに申請しておこう。e-VISAは便利ではあるが、僕のツレのように審査に落ちた際(普通は滅多に落ちないものなのけど)、大使館も取り合ってくれないためにリカバリが難しいという落とし穴がある。特に職業欄にWriterと記入する人は、VISAの種類は観光で良いのか、商用とすべきなのかといった疑問点があるので、あらかじめ大使館に確認をしておきたい。

 ふたつめ。もしe-VISAに落ちても、書類申請が間に合わなくても、諦めないでほしい。僕のツレのように、e-VISAに落ちてアライバルビザで入国を成し遂げた人がいる。よっぽどの危険人物なら話は別だけれど、大使館の公式ホームページに載っている「発給資格」条件さえ満たしていれば、アライバルビザは問題なく取得することができる。唯一の注意点は、どの空港で入国するか、ということ。先述の通り、バンガロール、チェンナイ、デリー、ハイデラバード、コルカタ、ムンバイの6空港しかアライバルビザを発行してくれないので、くれぐれもコーチンで入国するハメになった僕たちの二の舞にはならないでほしい。

 

 かつてはそのあまりの煩雑さから、「インドの旅はビザを取ることから始まる」とまで言われたインドVISAだが、今はネットやアライバルといった取得方法も増えたので、かつてと比べればよっぽどスムーズに取れるようになっていると思う。仮にVISAでつまづいたとしても、それでインド旅行を諦めてしまうのは、あまりに、あまりにもったいない。のっけからつまづくどころか転がり落ちるレベルで大コケした僕たちではあるが、それでも諦めずにインド旅行を敢行して本当に良かったと思っている。それだけ、インドは行く価値のある美しい国だった。帰国してまだ4日しか経っていないくせ、すでにインドに帰りたいくらいだ。このブログが、これからインドに行く人の、VISAという名の第一関門を突破する手助けになれば嬉しい。

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