100日後に殺されたワニ
きくちゆうき氏が2019年12月12日から2020年3月20日にかけて、Twitterに連日投稿した『100日後に死ぬワニ』。回を追うごとにジワジワと人気を集め、投稿されるたびにトレンドを席巻するようになったこの四コマ漫画は、100日目にワニが死んだ日には阿鼻叫喚とも言える反応の嵐がTwitterに吹き荒れました。最終回のツイートには221万をこえるいいね数が付き、これは2020年4月現在、日本一のいいね数らしい。(2位は松本人志の「後輩芸人達は不安よな。 松本 動きます。」で167万いいね)
「100日後に死ぬワニ」
— きくちゆうき (@yuukikikuchi) 2020年3月20日
100日目 pic.twitter.com/r0Idn9I7mR
で、それだけブームになったものだから、LINEスタンプ発売だの書籍化だの映画化だの、あとこまごまとした大量のコラボ等々、すさまじ数のメディアミックス展開がされて、「ワニはステマだったのでは」と炎上するまでがマクドナルドハッピーセット。その火に油を注いだのは、「このワニステマには電通が関与している」という疑惑だったらしい。みんな電通嫌いすぎでしょ。ハンバーガーにはさまってるピクルスぐらいの嫌われ率ですね。僕は好きです。あ、ピクルスの方が。
「失望しました!書籍買いません!」なんて反応もいくつも目にしました。が、そういう奇声をあげるのはいつだってハナから買うつもりもない人たちなので、かえりみる必要もないでしょう。ネットで何でもタダで楽しめてしまうことに慣れているせいか、金のにおいがすると急にアレルギーが出るようです。叩かれようが炎上しようが、買う人は買うので、金になれば何だってイイのだと思います。もうかれば何だって正しいんです。僕たちの社会は資本主義なので。
そんな社会で生きる女の子と死ぬワニのお話があります。岡崎京子の 『pink』です。
ちなみにこの作品のワニはきっかり100日後に死ぬワケではありません。ブログタイトルはただの便乗です!
1989年の2月から7月にかけて週刊誌『NEWパンチザウルス』で連載された漫画です。作者のあとがきから引用すれば、「東京というたいくつな街で生まれ育ち『普通に』こわれてしまった女のこの”愛”と”資本主義”をめぐる冒険と日常のお話」。*1
昼はOL、夜はホテトルとしてはたらくユミは、マンションの自室にワニを飼っていました。しかしそのワニは、ユミを快く思わない継母によって殺されてしまいます。ワニを失ったユミは、継母のツバメであったハルヲくんと南の島へ行くことにしますが、空港に向かう途中でハルヲくんは交通事故で死んでしまいます。ユミは何も知らないまま、空港でうっとり彼の到着を待ち続ける、というところで物語は終わります。
この漫画におけるワニとは、いったい何だったのでしょうか。
まずワニを飼っている主人公の「ユミ」のキャラクター性をおさえておきたいのですが、彼女は一貫して享楽的な女性として描かれています。その価値観が、ハルヲとレストランでディナーを楽しんでいる時の発言ににじんでいます。*2
↑の次ページでは、ユミの実母が首吊り自殺して亡くなっていたことが明かされるのですが、ユミは今なお、その死んだ母を慕っています。本作のタイトルが『pink』であるのも、ユミの好きな色がピンク色であるからですが、なぜ彼女がピンク色を好きなのかといえば、それが亡き母のネイルの色でもあったから。*3
実母の自殺の原因は作中では明言されていません(父親の浮気が原因のひとつだと推測される場面はある)。しかし上記のディナーの会話のあとに実母の自殺のエピソードを配することで、 実母は自殺をもって「シアワセじゃなきゃ死んだ方がまし」という精神性を体現した、と読ませる引導になっていると思います。そしてその実母の自殺という衝撃が、「シアワセ」を何より重要視するユミの精神性に影響を与えているのだろう、とも。
ユミの「シアワセ」は、基本的に即物的で刹那的なものです。衝動的にバラを買い、マニキュアを塗り、例えイヤなことがあっても、布団の中で翌日の朝ごはんと新しいインテリアのことを考えていれば、すっかり夢中になって「しあわせなきもち」になることができます。その「シアワセ」はとめどない金銭の消費から生まれるが故に、ユミは毎日、昼も夜も馬車馬のごとくはたらきつづけます。*4
そんな彼女の生活の中心にいるのが、ワニでした。彼女がホテトルまでして日夜働くのは、ワニの大食いが理由のひとつにある様子です。*5
↑のページで終われば、ユミはただのペット想いな女の子なのですが、彼女は自身の欲望にまったく歯止めをかけることができません。*6 作品を読み進めていくと、彼女がホテトルをやっているのは、ワニのためだけではなく、彼女の享楽的な生活を維持するためでもあるということがわかってきます。
そうして見てみると、『pink』に登場する大食いのワニは、ユミががんばる理由でもある一方で、ユミの欲望の大きさそのものであるようにも思えてきます。
ユミは腹が立つと、「ワニのエサにしてやる」という言い回しをよくします。*7 ユミの欲望の象徴でもあるワニが、「シアワセ」への障害を食らうというこの図式は、他者の妨害を決して許さないユミの欲望の暴力性や、猪突猛進な姿勢の暗示にも見えてきます。
『pink』におけるワニとは、ユミのとどまるところをしらない欲望の原動力であり、象徴でもあったのだと思います。そしてこのようなワニは、大なり小なり僕たち皆が胸の内に飼っているモンなんじゃないでしょうか。
ちなみに『100日後に(交通事故にあって)死んだワニ』に対して『pink』のワニはどうやって死んだかというと、ユミのことをうとんでいる継母によって殺され、ワニ革のカバンにされてしまうというオチです。
ワニがいなくなったことで、欲望があって、それに猛進する生き方をしてきたユミは、遮二無二はたらく原動力を失いました。欲望の矛先、果ては欲望そのものの象徴であるワニが目の前から消えて立ち止まった途端、ユミは発作に襲われます。
「どうしてあたしはここにいるの?」
「どうしてここに立っているの?」
「だれかあたしをたすけて おねがいです」*8
這う這うの体で帰宅したユミは、ハルヲくんを目にしてすぐ南の島へ行くことを提案しますが、 これはワニを失った現実からの逃避行、そして新しい「シアワセ」への欲望をかきたてる、ワニに代わる何かを探すために他なりません。
ここでのハルヲくんの「ユミちゃんにヨクボーが芽ばえたことのほーがうれしかった」という内心の台詞*9が印象的です。 ユミという女の子は、欲望と、そこから生まれるパワーありきであることがわかります。
ハルヲくんが交通事故にあったことで、ユミの旅行は中止になるであろうことが暗示されて作品は終わりますが、ユミは新しい「ワニ」を浴室に、あるいは胸中に飼うことはできるのでしょうか。その「ワニ」を飼わない、という選択肢はきっとユミにはできないだろうと思います。彼女は「東京というたいくつな街で」、失った実母の愛と資本主義の前に「『普通に』こわれてしまった女のこ」だからです。
ユミの欲望と消費のとてつもない速度と大きさは、すでに過去の若者像で、貧困が叫ばれている令和の若者の感覚とはちょっと異なるかもしれません。けれど僕たちはいつも、何かが欲しいという欲望と、それを金銭で手に入れるという消費を繰り返して生きています。
『100日後に死ぬワニ』の書籍を買わない、という選択肢を呈した人も、その根底には「お金には価値がある」という発想があるからで。だから商売への抗議が「不買」という行為に結びついています。お金に価値を感じていなければ、反発はもっと違う形をとるはずで。いわゆる嫌儲(他人の金もうけを毛嫌いする人たちを指すネットスラング)も、結局は資本主義の一部ということです。
日本社会にうまれた僕たち皆が、胸の内に欲望の大食漢たる「ワニ」を飼っているんじゃないかなァと思います。故に『pink』のユミのように、今日もよろこんで労働に従事し、「ワニ」をおおいに肥え太らせてしか、資本主義にくみこまれた僕たちの「シアワセ」はきっとありえません。欲望をふりかざしましょう。刹那的な消費を繰り返しつづけましょう。いつかこの凶暴な「ワニ」が死ぬ日までは。
いったいそれは、何日後になるんでしょうかね。
『ミッドサマー』のルーン文字を歴史と言語学観点からガチ調べした【後編】
前回まとめたルーン文字についての知識をもとに、今回は『ミッドサマー』に登場するルーン文字を解説していきたいと思います。
北欧型ルーンとアングロ・サクソン型ルーンの違い、ルーン文字の想起語的意味とルーンリーディングの違い、などの前知識がない方は、【前編】ですべて解説していますので、先にそちらをご覧いただくことをオススメします。
すでに『ミッドサマー』に登場するルーン文字の解説はたくさんありますが、そのほとんどが「このモチーフにはこの字とこの字が書かれていて……」というモチーフごとの紹介で、なぜそんなルーンリーディングになるのか?とか言語学的観点から見たルーンのもともとの意味(想起語)がわかりません。
ので、本ブログではモチーフ単位ではなく文字単位での紹介をしていきたいと思います。どの文字がどこにいくつ登場しているのかがこれでわかるかと。ただし登場回数は見落としがあるかもしれないので、多いか少ないかという雰囲気をとらえるにとどめていただけると幸いです。
紹介順はフサルクの順番に沿っています。文字が見にくいときは画像クリックで拡大してご覧ください。
- 【ᚠ】fehu:富
- 【ᚢ】ūruz:試練
- 【ᚫ】ansuz:言葉
- 【ᚱ】raidō:旅
- 【ᚲ】kaun? kenaz?
- 【X】gebō:贈りもの
- 【ᚹ】wunjō:幸運
- 【ᛀ】naudiz:宿命
- 【ᛁ】īsa:氷
- 【ᛇ】ehwaz:生と死
- 【ᛈ】perth:秘密
- 【ᛉ】algiz:守護 または【ᛣ】kalc:聖杯
- 【ᛋ】sōwilō:栄光
- 【ᛏ】tīwaz:戦士
- 【ᛖ】ehwaz:可動性
- 【ᛗ】mannaz:人間
- 【ᛚ】laguz:内面
- 【ᛟ】ōthila:土地
- 【ᛞ】dagaz:啓発
- 【ᚸ】gār:槍
- わからなかった謎ルーン
- まとめ
【ᚠ】fehu:富
文字体系 | 古北欧型ルーン |
---|---|
ラテン文字転写 | f |
名称 | Fehu(フェフ) |
意味(想起語) | 富、財産 |
ルーンリーディング | 富裕、繁栄 |
備考 | 英語feeの語源 |
登場箇所はメイポール、ペレが着ている服の刺繍、寝室の壁画、長老シフとクリスチャンが面会した小屋の壁画。
ペレは、メイクイーンとなるダニーと生贄となる男たちをホルガ村に連れて来た、いわば富をもたらした人物なので、胸元にfehuの刺繍があるのも納得です。
【ᚢ】ūruz:試練
文字体系 | 古北欧型ルーン |
---|---|
ラテン文字転写 | u |
名称 | ūruz(ウルズ) |
意味(想起語) | 野牛 |
ルーンリーディング | 試練、挑戦 |
登場箇所は、シフとクリスチャンが面会した小屋の壁画。
【ᚫ】ansuz:言葉
文字体系 | 古北欧型ルーン |
---|---|
ラテン文字転写 | a |
名称 | ansuz(アンスズ) |
意味(想起語) | 言葉、知識、それをつかさどる神(オーディン) |
ルーンリーディング | コミュニケーション、神聖な伝承 |
備考 | 英語のanswerにあたる |
登場箇所は、長老シフの服の刺繍、寝室の壁画、シフとクリスチャンが面会した小屋のフェンスと、小屋の中の壁画。
言葉や神(特にそれをつかさどるオーディン)のお告げを表すルーンなので、村の長老であり祭の司祭でもあるシフの胸元に刺繍されているのでしょう。
【ᚱ】raidō:旅
文字体系 | 古北欧型ルーン |
---|---|
ラテン文字転写 | r |
名称 | raidō(ライドー) |
意味(想起語) | 騎乗 |
ルーンリーディング | 旅、進化 |
備考 | 英語rideと同語源 |
『ミッドサマー』に一番多く登場するルーン文字ではないでしょうか。登場箇所はメイポール、アッテストゥーパが行われた崖の上にある石板、寝室の壁画、初めての食事の時のテーブル配置、生贄を選ぶクジの玉、ダニーの服の刺繍、長老シフとクリスチャンが面会した小屋の壁画。
メイポールは先述の【ᚠ】fehuと合わせると、「より多くの恵みへの出立」といった意味が込められているのでしょう。
なおダニーの服の【ᚱ】raidōだけ、左右が反転しています。ルーンが反転すると、呪術上では負の意味を帯びることが多いようです。公式サイトのネタバレページには「この反転した【ᚱ】raidōは不和、妄想、死を暗示している」との記載がありますが、「旅」が反転するとそんな意味になるとはとても考えられません。テキトーなこと言ってんじゃないよと思わんでもない。まァ呪術上の意味というのは占う人の主観によるところが多いので、正解不正解があるものではないのですが。
【ᚲ】kaun? kenaz?
文字体系 | 古北欧型ルーン |
---|---|
ラテン文字転写 | k, c |
名称 | 不明。kaun, kaunan, kenazと言われている。 |
意味(想起語) | kaun=腫れもの、あるいはkenaz=松明か。 |
ルーンリーディング | ともしび、熱量、知恵 |
登場箇所は、ホルガ村の女性が着ている服の刺繍、寝室の壁画、長老シフとクリスチャンが面会した小屋の壁画。村の女性の胸元にあるのは、ダニーを案内してくれるこの女性のあたたかさみたいなのを示しているのかな?
壁画の【ᚲ】kaunは後述の【ᛈ】perthに見えなくもないですが、上下末端から右へ伸びている短い曲線は装飾的なもので、文字自体は【ᚲ】kaunだろうと思います。
【X】gebō:贈りもの
文字体系 | 古北欧型ルーン |
---|---|
ラテン文字転写 | g |
名称 | gebō(ゲボ) |
意味(想起語) | 贈りもの |
ルーンリーディング | 贈りもの、捧げもの(犠牲) |
備考 | 英語のgiveと同語源 |
登場箇所は、アッテストゥーパが行われた崖の上にある石板、長老シフとクリスチャンが面会した小屋の壁画。石板は、神へ命を返す儀式の場に建っているものなので、神への捧げものというニュアンスで書かれているのでしょう。
小屋の壁画は、装飾部分が結合したように見える【X】gebōかなと思いつつ、90度傾けられた後述の【ᛞ】dagazのようにも見えるので、ちょっと微妙なところです。
【ᚹ】wunjō:幸運
文字体系 | 古北欧型ルーン |
---|---|
ラテン文字転写 | w |
名称 | wunjō(ウンジョ) |
意味(想起語) | 喜び |
ルーンリーディング | 幸運、満足 |
登場箇所は、長老シフとクリスチャンが面会した小屋の壁画。エッ、良い意味のルーンなのに登場ここだけ???
【ᛀ】naudiz:宿命
文字体系 | 古北欧型ルーン |
---|---|
ラテン文字転写 | n |
名称 | naudiz(ナウディズ) |
意味(想起語) | 欠乏、必要性 |
ルーンリーディング | 苦難、宿命 |
備考 | 英語needと同語源 |
登場箇所は、長老シフとクリスチャンが面会した小屋の壁画。
先述の【ᚠ】fehu(富)と、【ᚢ】ūruz(試練)、【ᚱ】raidō(旅)と合わせると、この4文字のブロックは、「繁栄への道のりには試練にいどむことが宿命づけられている」といったニュアンスにとれそうです。
【ᛁ】īsa:氷
文字体系 | 古北欧型ルーン |
---|---|
ラテン文字転写 | i |
名称 | īsa(イサ) |
意味(想起語) | 氷 |
ルーンリーディング | 冷たさ、凝縮、再生 |
備考 | 英語iceの語源 |
登場箇所は、長老シフとクリスチャンが面会した小屋の壁画、ダニーがメイクイーンに選ばれた時のテーブルの配置。
ホルガ村の食卓の並べ方はすべてルーン文字になっているので、この時のテーブルもただ長く並べたのではなく、【ᛁ】īsaを示しているのだと思います。天板が氷のように鏡張りになっているのも印象的です。メイクイーンとなったダニーが、冷たく生まれ変わったようなニュアンスがこめられているのかな。
【ᛇ】ehwaz:生と死
文字体系 | 古北欧型ルーン |
---|---|
ラテン文字転写 | i |
名称 | ehwaz(エイワズ) |
意味(想起語) | イチイの木 |
ルーンリーディング | うつろい、生と死、再生 |
備考 | 英語yewの語源 |
生贄を捧げる小屋の扉の、内側のフレームが【ᛇ】ehwazになっている、という考察記事を見つけました。若干こじつけっぽい気もするのですが、扉が開かれる時――それは生贄を運び入れる時で、扉が閉じられる時――それは生贄が燃やされて死ぬ時、と考えると、まさに生と死を表す【ᛇ】ehwazそのものだなァと思い、面白かったので紹介しておきます。
【ᛈ】perth:秘密
文字体系 | 古北欧型ルーン |
---|---|
ラテン文字転写 | p |
名称 | perth(パース) |
意味(想起語) | 不明。ナシの木かと言われる。 |
ルーンリーディング | 賭け、秘密、神の手 |
備考 | 英語yewの語源 |
登場箇所は、アッテストゥーパが行われた崖の上にある石板、寝室の壁画、長老シフとクリスチャンが面会した小屋の壁画、生贄を選ぶクジの玉。
運まかせの賭け事といった意味合いもありますが、ここでは神のみぞ知る秘密といったニュアンスでとった方がイイでしょう。
【ᛉ】algiz:守護 または【ᛣ】kalc:聖杯
文字体系 | 古北欧型ルーン |
---|---|
ラテン文字転写 | z |
名称 | algiz(アルジズ) |
意味(想起語) | 盾 |
ルーンリーディング | 保護 |
文字体系 | アングロサクソン型ルーン |
---|---|
ラテン文字転写 | k |
名称 | kalc(カルク) |
意味(想起語) | 聖爵、聖杯 |
ルーンリーディング | algizと混同するため占いには殆ど使われない。 |
登場箇所は、 アッテストゥーパが行われた崖の上にある石板、アッテストゥーパの生贄であるおばあさんの服の前身頃、クリスチャンの服の刺繍、寝室の壁画、マヤ初登場のシーンで彼女が開ける小屋の扉。
『ミッドサマー』に出て来る【ᛉ】algizはどれも上下が反転しています。倒立したルーン文字は呪術上ではダークな意味合いを持つので、「神の守護が失われた状態」を表すために書かれている、と取れなくもないのですが、あまりにすべての文字が反転しているので、これは古北欧型ルーンではなくアングロサクソン型ルーンの【ᛣ】kalcではないか?と思い、疑問として残しておきます。(両者の違いがわからない方は前編へ)
【ᛣ】kalcは、古フリジア語や古英語の発音をより正確に表記するため追加されたルーン文字のひとつです。それまでは先述の【ᚲ】kaunが「k」と「c」の音を兼ねていたため、両者を区別するために、【ᚲ】kaunの音価を「c」とし、【ᛣ】kalcを「k」としたようです。
【ᛣ】kalcの意味は「聖爵、聖杯(chalice)」。キリスト教圏において、キリストの聖体をいただくため、葡萄酒とパンを入れるあの容器です。「ホルガ村の宗教の下敷きには北欧神話がある」という考察を以前しているので、そこに「聖杯」というキリスト教のモチーフを持ってくるだろうか?という疑問は残ります。が、【ᛣ】kalcも聖体拝領といういわば神とのつながりを意味する文字であることは事実なので、例えば上記のおばあさんの服は、倒立した【ᛉ】algizの場合は「神に護られる者ではなくなった(ので生贄として死ぬ)」とも、【ᛣ】kalcの場合は「神からいただいた、神と血肉を同じくするもの(なので適齢になった今、神のもとへ血肉を返す)」とも取れて、どちらの可能性も捨てきれないワケです。
クリスチャンの服の刺繍なんかは、神にも見限られたクズ野郎として倒立した【ᛉ】algizと見てもイイかもしれませんが、反対にマヤが出てくる小屋の扉の文字は、儀式の場所でもない生活空間にそんなダークなルーン文字を大量に彫刻するだろうか?という疑問が浮かび、【ᛣ】kalcと考えた方が自然な気がします。どちらか片方が正解、ではなく、両方が混在している可能性もありますね。
※なお古北欧型より後世の、北欧型の長枝型ルーン(デンマーク型ルーン)にも同じ形【ᛣ】の文字が出現し、この場合は音価が「r」となるのですが、『ミッドサマー』にはこの体系のルーンは他に登場しないので、たぶん作中の【ᛣ】は古北欧型かアングロサクソン型として書かれているかな、と思います。
【ᛋ】sōwilō:栄光
文字体系 | 古北欧型ルーン |
---|---|
ラテン文字転写 | s |
名称 | sōwilō(ソウィロ) |
意味(想起語) | 太陽 |
ルーンリーディング | 輝き、栄光、エネルギー |
これは微妙です。登場箇所は、長老シフとクリスチャンが面会した小屋の壁画。両辺の長さから先述の【ᛇ】ehwazではないことはわかりますが、【ᛋ】sōwilōだったとして、なぜこのルーン文字だけこんな向きがヘンテコなんでしょうか。左右が反転させられているだけでなく、反転した上で左に45度ほどかたむけられています。製作陣がテキトーに書いただけと思わなくもない……。
【ᛏ】tīwaz:戦士
文字体系 | 古北欧型ルーン |
---|---|
ラテン文字転写 | t |
名称 | tīwaz(ティワズ) |
意味(想起語) | 北欧の軍神テュール |
ルーンリーディング | 男性性、戦士、勇敢 |
登場箇所は、 アッテストゥーパが行われた崖の上にある石板、クリスチャンの服の刺繍、長老シフとクリスチャンが面会した小屋の壁画、寝室の壁画。
ちなみにマヤが開ける小屋の扉の赤マルした箇所も、上下反転した【ᛏ】tīwazがふたつ並べられているように見えなくもありませんが、青マルした箇所が上下反転した【ᛉ】algiz(または正位置の【ᛣ】kalc)と【ᛚ】laguz(後述)の組み合わせなので、赤マル部分もそれと同じで反転した【ᛏ】tīwazとは異なるかな、と思います。
【ᛖ】ehwaz:可動性
文字体系 | 古北欧型ルーン |
---|---|
ラテン文字転写 | e |
名称 | ehwaz(エイワズ) |
意味(想起語) | 馬 |
ルーンリーディング | 可動性、旅 |
登場箇所は、 寝室の壁画。
上下が反転しているので、可動性が失われた限界のような意味を示しているのだと思います。が、この人物画の胸元、古北欧型とアングロサクソン型とルーン・ガルドゥルのようなよく分からないルーン文字で構成されていて、深い意味はなく製作陣がテキトーに書いたように見えなくもない。
【ᛗ】mannaz:人間
文字体系 | 古北欧型ルーン |
---|---|
ラテン文字転写 | m |
名称 | mannaz(マンナズ) |
意味(想起語) | 人間 |
ルーンリーディング | 人の能力、才能、愛 |
備考 | 英語のmanにあたる |
登場箇所は、埋められたジョシュの足裏、皮だけになったマークが着せられている服。ただしどちらも上下反転しています。
ジョシュはダメって言われてるのに聖書を盗撮して、マークは先祖代々大切にされてきた木に小便をひっかけて村人の怒りをかいこんな有様になったワケで、「人間」を表す【ᛗ】mannazが反転しているのは、「人間失格」的な意味がこめられているからなんでしょう。ホルガ村の人怒らせちゃダメ、ゼッタイ。
【ᛚ】laguz:内面
文字体系 | 古北欧型ルーン |
---|---|
ラテン文字転写 | l |
名称 | laguz(ラグズ) |
意味(想起語) | 水 |
ルーンリーディング | 女性性、内面 |
備考 | 英語lakeと同語源 |
登場箇所は、 寝室の壁画、マヤ初登場のシーンで彼女が開ける小屋の扉。
扉のルーンは、上下反転した【ᛉ】algiz、または正位置の【ᛣ】kalcを【ᛚ】laguzで囲んでいます。上下反転した【ᛉ】algizの場合は、「神の守護が失われた内面」といったニュアンスになりそうですが、そんなルーン文字を扉に書くか?という疑問が浮かぶいので、正位置の【ᛣ】kalcを囲んで「内なる聖杯」的な意味を持たせてる、と見た方がイイ気がします。でも内なる聖杯って何だよ。
【ᛟ】ōthila:土地
文字体系 | 古北欧型ルーン |
---|---|
ラテン文字転写 | o |
名称 | ōthila(オシラ) |
意味(想起語) | 土地 |
ルーンリーディング | 故郷、財産 |
登場箇所は、寝室の壁画、アッテストゥーパ前のテーブルの配置。
画像1枚目のルーンは、左に先述の【ᛈ】perthも書かれていて、「神のみぞ知る秘密の地」、つまり天国や楽園といった意味合いになりそう。アリ・アスター監督と役者のオフショットである3枚目の画像に映っているルーンも、どちらも【ᚱ】raidōとセットになっていて、神の地への旅、といった意味がこめられてそうです。
アッテストゥーパで生贄となる老人ふたりが主席に座る食事シーンの、テーブルの全体像が映っている場面がないのですが、映画を観るとこのテーブルも【ᛟ】ōthilaを描くよう並べられていることがわかります。
【ᛞ】dagaz:啓発
文字体系 | 古北欧型ルーン |
---|---|
ラテン文字転写 | d |
名称 | dagaz(ダガズ) |
意味(想起語) | 一日、昼間 |
ルーンリーディング | 神の祝福、啓発 |
備考 | 英語dayの語源 |
登場箇所は、ダニーの服の刺繍、寝室の壁画、皮だけになったマークが着せられている服、長老シフとクリスチャンが面会した小屋の壁画。小屋の壁画は、装飾部分が結合したように見える【X】gebōの可能性もあるので微妙ですが。
これも、いずれも90度かたむいているのが気になります。 公式のネタバレページには「逆にしても同じ意味」なんて書いてありますが根拠がわかりません。だいたいこの公式ページ、小林真理さんという映画評論家(東大の教授とは別人ぽい)が書いているようですが、参考文献が全部ニュースサイトと個人ブログで信憑性がビミョすぎる、参考「文献」でも何でもないでしょ。普通に考えたら、「夜」だとか「愚蒙」みたいな意味になりそうですが。
【ᚸ】gār:槍
文字体系 | アングロサクソン型ルーン |
---|---|
ラテン文字転写 | g |
名称 | gar(ガー) |
意味(想起語) | 槍(グングニル) |
ルーンリーディング | 占いにはあまり使わない。 |
これも発音をより正確に表記するために追加された、後世のルーン文字のひとつです。中英語にはかつて、古英語の「g」から音韻変化した「Ȝ(Yogh、ヨッホ、ヨッグ)」という文字とそれに相当する音価がありました。ルーンでもそれを表記するために、【X】gebōはとりあえず「g」とも「Ȝ」とも読めるとして、【ᚸ】gārは「g」とする、とハッキリ区別できるようにしたようです。
登場箇所は、寝室の壁画、生贄小屋の壁画。北欧神話における槍は、チート武器グングニルを持つ最高神オーディンのシンボルでもあり、『ミッドサマー』ではオーディンに生贄をささげる、という意味で配されているように思います。
わからなかった謎ルーン
最後に、調べに調べてもわからなかった謎ルーンを紹介して、判断はインターネッツの集合知にゆだねたいと思います。まずひとつめは、サボテンみたいな形をしたコレ。
ルーンにこんな文字ないはずなんですが、ダン爺さんの服の前身頃にデカデカと書いてあるくらいだから、重要な意味を持っているんでしょう。「治癒を意味する」というネットの書き込みを目にしましたが、信憑性は皆無です。
ふたつめは八芒星みたいなコレ。「豊穣」を意味する【ᛜ】ingwazをふたつ組み合わせた形のようにも見えます。
みっつめはもはやルーン文字に見えないコレ。一瞬絵なのかな?と疑いましたが、左には装飾された【ᛟ】ōthilaがあるし、それと同じような筆致で書かれているので、多分コレも文字なのでしょう、多分。
いずれも結合ルーン、あるいはルーン・ガルドゥルの一種なのだとは思います。前編で紹介したアィイスヒャウルムルだとかヘルスルスタヴルだとか、決まった組み合わせもあることにはあるのですが、そうしたものはもう呪術の世界になってしまうので、「このルーンをこう組み合わせて、こういう意味を持たせる!」みたいなアレンジはぶっちゃけ作ったモン勝ちみたいなところがある。ので、ホルガ村の、あるいは製作陣のオリジナルルーンなのかもしれません。
まとめ
以上、『ミッドサマー』のルーン文字ガチ調べ、後編でした。 登場するほとんどのルーンは古北欧型ですが、全24文字ある中で確認できなかったのは【ᚺ】hagalaz、【ᛃ】jēra、【ᛒ】berkanan、【ᛜ】ingwazの4文字でした。古北欧型だけでなくアングロサクソン型やルーン・ガルドゥル(?)まで出てくるので、ルーンの勉強には『ミッドサマー』を観ればイイんじゃないかな。
【オタク御用達】『ミッドサマー』のルーン文字を歴史と言語学観点からガチ調べした【前編】
アリ・アスター監督の新作『ミッドサマー』について、本ブログで全5回にわたり個人的な感想と解説を書いてきました。が、今回はちょっと映画の本筋は置いておいて、作中に出てくるルーン文字というモチーフについてむちゃくちゃ調べたので、その記録を書き残しておきたいと思います。
映画の本筋についてのレビューは下記記事になります。『ミッドサマー』そのものの内容について知りたい方は、こちらをどうぞ。
作中に登場する文字がルーンだとは分かったものの、それがどういう歴史背景や特質を持つ文字なのか実は知らなかった人(←僕)向けの記事になります。
アニメの魔法陣などに書いてあるルーンがただの模様だと思い込んでいた人、ルーン文字何それおいしいのって人、などなど、知識ゼロでも何となく知ったかドヤァできるくらいの内容を詰め込んだので、とりあえずオタクは読んでおけばいいと思います。
ルーンはまじないのための文字ではない
まず、ルーンは呪術のためだけの文字ではない、という話を先にさせてください。アニメやゲームの魔法シーンでばかり目にするので、おまじないに使うナニカのようなイメージが定着していますが。ホビット族の文字ではあるかもしれない。( J・J・R・トールキンは著書『ホビットの冒険』や『指輪物語』の中で、ホビット族が使う文字デザインのほとんどをルーン文字から拝借している)
その昔、文字の読み書きができる人が今では想像もつかないくらい少なかった時代には、識字能力のない人にとっては文字はよく分からない不思議な呪文に見えたことでしょう。そういう意味では、ルーン文字は当時の人たちにとって「呪術的だった」と形容することはできるかもしれません。
ただ、もちろん呪術に使われることもありましたが、本来は、ゲルマン人(北欧、アイスランド、オランダ、ドイツ人などの祖先)がフツーに日常で使っていた文字です。亀卜(きぼく:加熱した亀の甲羅の割れ方で吉凶を見る占い)など占いにのみ使われ、民衆の一般使用がなかった甲骨文字みたいなのとはワケがちがう。
まだ科学が発展していなかった大昔には、呪術、占いは特別なことでも何でもない、生活と地続きにあるものでした。そういう意味でもまた、例えルーン文字を生活で使おうが占いに使おうが、どちらも「日常的だった」と形容することもできるでしょう。
ただ「日常使い」といっても、日記を書くだとか、帳簿をとるだとか、そういう使い方はあまりされていなかったようです。なぜなら身の回りのことを好きなだけ大量に書くようなことはできない時代環境だったから。12世紀ころにイスラム圏を通して製紙技術が伝わるまで、ヨーロッパには「紙」というシロモノがありませんでした。羊の革を伸ばして作った羊皮紙はありましたが、バカクソ高価なので、普段使いできるようなブツではありません。
それではどういったブツにがんばって書いていたかというと、主に石や木片、装飾品にです。それに所有者を示したり、功績をたたえるためにルーン文字は刻まれていました。
神が見つけ人類にもたらしたルーン文字
のっけからルーン文字へのロマンをぶち壊すような話をしましたが、一応北欧神話の上では、ルーンはオーディンという最高神が発見した文字ということになっています。
「古エッダ」という、北欧神話についての作品集(9~12世紀にかけて成立、13世紀にアイスランドにて写本になったとされる)みたいな写本の中に「高き者の言葉 Hávamál(邦訳は「オーディンの箴言」など)」という詩集が収録されているのですが、そこなどに書かれている話によると、オーディンはグングニル(オーディンが持っている投げれば百発百中のチート槍)で自分を突き刺し、ユグドラシル(北欧神話の世界を支える大樹)で首を吊って、9日9晩の間、最高神である自分に対して自分自身を生贄に捧げることでルーン文字の知識を手に入れたらしいです。だいぶあたおかエピソードです。
で、オーディンがその知識を人間にももたらしたので、人類は文字を手に入れました!みたいな解説をよく目にするのですが、古エッダとは別の「ヴォルム写本」に収録されている「リーグルの歌 Rígsþula」の中では、オーディンがルーンの知識を得たあとに、ヘイムダルという光の神が人間にルーン文字を教えたことになっています。
写本によって神話内容にバラつきがあるのかもしれません。
ルーン文字の本当の起源と歴史
以上は神話上の設定なので、じゃあ本当のところルーン文字を作ったのは誰だったのか?というと、ヨーロッパ大陸を北から南へドチャクソ大移動したゲルマン人の一部族、ゴート族なんじゃないかと言われています。
ルーン文字とラテンアルファベット(現代の我々が英語を書く時に使うアレ。ローマ字とも呼ぶ)の形が何となく似ているのは、ゴート族が大移動する過程でローマの文明に触れたのが理由だとか。現在のイタリアには、ローマ帝国が成立する以前エトルリア人がいたワケですが、ルーン文字もラテンアルファベットも、彼らが使っていたエトルリア文字を借用していると言われています。
そうしてエルトリア文字を一部パクったりパクらなかったりして1世紀ころに成立したルーン文字は、ゴート族が住んでいた広い地域――ドイツ、イングランドからスカンディナヴィア半島まで――で使われることになりました。
地域や時代によって、ルーン文字は文字体系を変化させながら使われてきましたが、11~12世紀ころにはローマから普及したラテンアルファベットに取って代わられ、次第に廃れていきました。
ルーンがラテンアルファベットに淘汰された理由はさまざまにあると思いますが、そのうちのひとつには、ルーン文字が直線的で、速く長く書きつらねるのに適していなかった、ということが挙げられるでしょう。例えば楔形文字は粘土板に「スタンプする」文字だったからこそ、ペン先の三角形を組み合わせた姿をしています。ビルマ文字は葉っぱに「傷をつける」文字だったからこそ、葉っぱの繊維を裂いてしまわないよう曲線的な姿をしています。ルーンは木片や石に「刻む」文字だったからこそ、ナイフやノミで刻みやすい直線で構成されていました。なのでペンでサラサラサラ~~~とすばやく書いていくには、筆記文字として優れたラテンアルファベットの方が便利だったんでしょう。
ただスカンディナビア半島の内陸部のごく一部の地域では、19世紀までルーン文字を使える人がいたらしい。スゴイ、むっちゃ最近じゃん。
ルーンの文字体系の種類
先述の通り、ルーン文字は地域や時代によって文字体系を変化させてきました。その種を厳密に区別することは困難ですが、まァ大体こんなルーンがあったよ、という大まかな分類を、ここで紹介しておきたいと思います。
古北欧型ルーン
ゲルマン共通ルーン、エルダー・フサーク(Elder Futhark)とも呼ばれます。『ミッドサマー』に出てくるルーン文字もほとんどコレ。(下段に並んでいる文字はラテン文字転写です)
1世紀ころにルーン文字が出現してから、8世紀ころまで、ゲルマン語圏全域で使われました。全24字。
ちなみにフサーク(Futhark)というのは、ルーン文字が「f, u, þ(thの音), a, r, k」の6文字から始まることにちなんだ呼び名です。ひらがなのことを「あいうえお」と呼ぶのと同じ。「アルファベット」という呼称も、今は表音文字の1グループを指す名前ですが、由来自体はギリシア語が「α(アルファ)」「β(ベータ)」から始まることによるものだし。
なのでルーン文字のことは、「フサーク」と呼んでもイイし、ゴート語で「秘密」を意味するRunaが語源とされている「ルーン(Rune)」と呼んでもイイし、どっちでもOKです。
後期古北欧型ルーン
先述の古北欧型ルーンを見ると、「k」「j」「ng」にあたるルーン文字だけ上下幅がせまいことに気がつきます。なんか宙ぶらりんになっとる。これを修正してすべての文字高を一定にしたのが、後期古北欧型ルーンです。
文字の数自体は全24字と変わりませんが、6~8世紀に北欧では話し言葉が大きく変化したようで(音節の短縮化が進み、母音が変質した)、それにともなってルーンの中でもほとんど使われない文字が出てきたり、音価(文字の発音)自体が変わったりしたようです。
北欧型ルーン
言語の変化に呼応して、全24字あったルーン文字は、8世紀末には全16字に数を減らします。この全16字の北欧型ルーンは、主に以下の3つに分けられます。
①長枝型ルーン
デンマーク型ルーンとも呼ばれます。縦線(幹)に対する横線(枝)が長いので「長枝型」。ルーン文字における楷書体みたいなもの。
②短枝型ルーン
スウェーデン・ノルウェー型ルーンとも呼ばれます。縦線(幹)に対する横線(枝)が短いので「短枝型」。長枝型より簡略化された、ルーン文字における行書体みたいなもの。
③幹無し型ルーン
書くことに特化した、ルーン文字における草書体みたいなもの。点じゃん。
※その他、文字の内側や上に点を打って音価をより正確に表した「点付き型ルーン」、読む方向に応じて傾けられた「反転型ルーン」「倒立型ルーン」 、幹部分がつながった「同幹型ルーン」、2文字以上のルーンがひとつになった「結合型ルーン」などがあります。
アングロ・サクソン型ルーン
先ほど「ルーン文字は時代を経て数を減らした」と書きましたが、それはスカンディナビア半島での話で、一方のフリースランド(オランダ)やイングランドでは、ルーン文字は7~8世紀に28字へ、10世紀には31字へと文字数を増やしました。
なぜかというと、この地域は北欧とはちがう古フリジア語や古英語の言語圏だったから。それら言語の母音をより正確に表記するため、文字を追加したワケです。
ルーン・ガルドゥル
ルーン文字は呪術のためだけの文字じゃない!という話を冒頭でしましたが、それは上記で解説してきた筆記用の文字についての話で、実は呪術のためだけに作られたルーン文字も存在します。名前はルーン・ガルドゥル。いかにも怪しすぎる見た目をしていますが、これは部外者に真意を察知されないためで、結合ルーンと同幹ルーンを組み合わせてわざと複雑な形にしています。
例えばアィイスヒャウルムル(Ægishjálmur)は、敵をおびやかしたり、身体に力をみなぎらせたり、恋を実らせたりする役割がありました。ヘルスルスタヴル(Herzlustafr)は勇気を奮い立たせたり、ギーンファクスィ(Ginfaxi)は勝利を導く役割。などなど。
14世紀には何度も「ルーン・ガルドゥルにふける奴は破門にすっぞ」という布告が出され、また17世紀にはアイスランドでルーン・ガルドゥルを使っていた呪術師が火刑に処されたりもしていて、キリスト教からは黒魔術として相当敵視されていたみたいです。
中世に入ってルーン文字が筆記文字として使われなくなり、ルーンを古めかしく神秘的に感じる人が増えるにしたがって、黒魔術的な使い方が進化してったんだろうと思います。
ルーン文字の音価、名称、意味について
ルーン文字は「アルファベット」――つまり、ひとつの文字につきひとつの音が割りあてられている表音文字です。
※日本ではアルファベットというとABC……という英語を書く時のアレを指すことがほとんどですが、「アルファベット」とは「アブジャド」(フェニキア文字、アラビア文字など)や「アブギダ」(梵字、クメール文字など)と並ぶ、あくまで表意文字の1つのグループの名前です。ABC……というアレは、その「アルファベット」グループに含まれるひとつの文字体系なので、厳密に区別するならば「ラテンアルファベット」または「ローマ字」と呼ぶ方が適切です。
しかしルーン文字は一方で、ひとつの文字につき、音と一緒にひとつの意味も割り当てられている表語文字の側面もあったのではないか?と言われています(我々が使う漢字も表語文字ですね)。
これが、ルーン文字が現代でも占いに使われている一因でしょうね。「このルーンのカードを引いたからあなたはしばらく金欠かもしれません」みたいな。
例えば1番目のルーン文字「f」。これの音価は [f] [v]ですが、文字自体の名称は「フェフ(fehu)」と言って、この文字ひとつだけで「家畜」「富」「財産」という意味を表すことがあります。
この音価や名称、意味を全部挙げているとキリがないので、興味のある方はWikipediaで十分なので先にそちらにザッと目を通していただきたいんですが、できれば日本語版のページではなく英語版を、Google自動翻訳しながらでも見てほしくて、
なぜかというと、英語版だと、ルーン文字の音価と、文字の名称(意味)の頭文字が一致していることに気がつけるからです(これが日本語版ページでカタカナで読んでしまうと気づけない)。先述の「f」もそうですし、例えば2番目のルーン文字「u」も、「野牛」を意味するところの文字名称は「ウルズ(uruz)」で、こちらもやっぱり音価uと名称の頭文字uが一致しています。
なので、ルーンの各文字が持っている意味は、表語文字と定義できるほどの確固としたイメージというよりは、あくまでルーン文字を学びやすくするための想起語として当てはめられていただけ、と見た方が堅実です。「♪Aはリンゴ(apple)のA~」みたいなやつです。
それゆえに、こんなんで占われてもな~という気持ちが個人的にはなきにしもあらず。だって「ラテンアルファベットのAが出たから、あなたはリンゴを食べるとイイでしょう」なんて占い誰もしないでしょ。ルーン・ガルドゥルならともかく、「富や財産を意味するルーン文字の f が出たから、あなたはお金持ちになるでしょう」と言ってるのは、このリンゴ事案とまったく同じだと思うんですが。
個人的な気持ちはさておき、ルーン文字の知識が失われてゆくのと比例して、ルーン文字を神聖視する風潮が高まっていったことは事実です。そうした中で、ルーン文字がもともと持っていた名称(意味)を、さらに占いとして深読みするような「ルーンリーディング」も生まれました。公式サイトのネタバレ専用ページには、「このルーンはこんな意味」という解説が載っていますが、ここに書かれているのはルーン文字に想起語として割りふられたもともとの意味ではなく、そこから派生した「ルーンリーディング」の方である、ということを補遺させてください。
ということでようやく前置きが終わって(!)、『ミッドサマー』のルーンリーディングについて言及できる段階に来たのですが、あまりに長くなるので【後編】に分けたいと思います。
末尾に
本記事を書くにあたって、ラーシュ・マーグナル・エーノクセン著『ルーン文字の世界 歴史・意味・解釈』をフル活用させていただきました。豊富な図版とともに、ルーンの歴史や特徴、そして石碑の読み方まで学べるスゴ本。北欧では大学や専門学校の教科書としても採用されているらしく、僕みたいなルーン初心者の入門書にピッタリだったので、オススメしておきます。
あと実は、日本でもルーン文字が書かれた石碑を見ることができるらしい。東京千代田区の日比谷公園にある「古代スカンジナビア碑」。スウェーデンと日本の航路が開拓されてから10周年を記念して寄贈されたそうです。
写真を見るかぎり、中世の点付きルーンで書かれていると思われます。MCMLVIIとかXXIVとか、ルーン文字ではない部分は多分数字かな。ルーンの書かれた石碑の雰囲気を生で味わってみたい方はどうぞ。goo.gl
『ミッドサマー』で浄化された話 その⑤ドラッグ編
『ミッドサマー』を観てハラハラドキドキするつもりが、不覚にも無限の浄化作用を受けて帰ってきてしまった人が語る、『ミッドサマー』解説と感想になります。
今回は、
といった5つのトピックの内、その⑤「これはドラッグ映画である」について書いていこうと思います。①~④を未読の方は、上記リストのリンクから飛べますので、まずはそちらから読んでいただけると分かりやすいかもしれません。
ドラッグのデパート映画
『ミッドサマー』、しょっぱなから最後に至るまで、主人公たちがひたすらドラッグを摂取してます。
ドラッグ=薬というと、ダニーが飲んでいた抗不安薬のような医薬品(medicine)を想像する方がいるかもしれませんが、そちらではなく違法薬物(drug)の方です。
まずホルガ村に行く前から、ダニーの彼氏クリスチャンとその男友達はマリファナ(大麻)遊びをしています。
一部の州を除いて、アメリカでは以前多くの州において嗜好目的でのマリファナ使用は禁じられていますが、一方で国民の4割もがマリファナの使用経験があるとの統計データも出ており(下記記事参照)、アメリカでのマリファナ使用がとてもポピュラーである様子がうかがえます。『ミッドサマー』でのクリスチャンたちも、そうしたマリファナと近しいアメリカの若者像なのでしょう。
ホルガ村に着いたら今度は、マリファナとマジックマッシュルームをみんなで摂取しています。
マジックマッシュールームとは、シロシビンやシロシンといった成分をふくんだキノコの俗称です。摂取すると幻覚が見えたり悟った気分になったりする。LSDやペヨーテと同じ幻覚剤の一種です。
そして村で生活し始めてからも、人によってモノや回数は異なりますが、村人から支給されたナチュラルドラッグの類をことあるごとに摂取しています。ナチュラルドラッグとは、自然物由来のドラッグのことです(反対に人工的に合成、精製されたドラッグはケミカルドラッグといいます)。
『パルプフィクション』『時計仕掛けのオレンジ』『ウルフオブウォールストリート』『トレインスポッティング』『ラスベガスをやっつけろ』など、ドラッグで主人公がムチャクチャになるようなドラッグ映画はいろいろありますが、『ミッドサマー』も確実にそこに仲間入りです。
『ミッドサマー』におけるドラッグ表現の特徴
個人的には、ドラッグ映画というのは「登場人物がドラッグを摂取して、それによる感覚変化を、観客は第三者として見ている」映画と、「登場人物がドラッグを摂取して、それによる感覚変化を、観客は画面を通して当事者の様に見ている」映画のふたつに分けられると思っています。
例えば先述の『パルプフィクション』『時計仕掛けのオレンジ』などは前者。ドラッグを摂取して「ラリっている」キャラクターを、観客は第三者として眺めています。
『ウルフオブウォールストリート』も基本的にはこちら側ですね。ラリって運転して警察に捕まるシーンだけ別ですが。ここ、個人的にスゴイ好きなシーンです。
反対に『トレインスポッティング』や『ラスベガスをやっつけろ』は後者の印象が強いです。ドラッグによって登場人物にもたらされた感覚が、そのまま映像になっています。
『ミッドサマー』はどちらかと言えば、確実に後者でしょう。
もちろんすべてのドラッグ摂取の感覚が映像化されているワケではありませんが、例えば死んだ家族の幻覚が見えたり、花や植物が呼吸しているように動いていたり。食卓の食べ物の色彩が渦巻いていたり、自分が地面の草と同化しているように見えたり。
特にフォーカスがダニーに向けられているシーンで、幻覚がそのまま映像になっています。
監督がこだわった「リアルなドラッグ感覚」
死んだ家族の幻が突然見えるのはデニーの心因性によるところも大きいと思いますが、純粋にドラッグの作用だと思われる幻覚――例えば植物が動いてる、色彩が渦巻いている、といった幻覚は、「ウワー!何か動いてる!動いてる!😱」と突然観客をビビらせるような、露骨な表現ではありません。↓下のGIFをご覧ください。
「メイクイーン」に任命されたダニーが、困惑しながら食器を手に取るシーンですが、飾り付けられた花がまるで呼吸しているかのよう開いたりしぼんだりしていることに気がついたでしょうか?
ダニーの右腕ちかくのツタも、不自然にウネウネしてます。ピントが合っていませんが、画面手前に移っている肉もグニョグニョしている……。
『ミッドサマー』で表現される幻覚は、「アレ……?何か動いてる……?」と一瞬自分の目をこすってしまうくらい、徐々に徐々に、小さなレベルから始まっていきます。そして気がつかない内にすっかり消え失せている。
それはまさに「だんだんドラッグが効いてきたな~~」「あ~~抜けてきたな~~」という感覚そのものです。
アリ・アスター監督は下記の記事にて、ドラッグ感覚を正確に表現することに苦心したと語っています。ドラッグが効きはじめてから抜けるまでの感覚とその長さには、監督の意図的かつ綿密な計算があったようですね。
またアリ・アスター監督はこのインタビューで、「タイダイみたいなザ・60年代サイケのテンプレは避けたかった」とも言っています。タイダイ(tye-dye)というのは絞り染めのこと。60年代に登場して、ヒッピーの間でも流行ったらしい。
つまり『ミッドサマー』にはあきらかに幻覚剤を摂取している場面がいくつもありますが、60年代に幻覚剤の代名詞になったLSDの摂取によるサイケデリックな画面作りはしたくなかったということですね。
全体を通して画面がとってもカラフルな『ミッドサマー』ですが、サイケのビビッドな配色を一切せずパステルカラーを多用しているからこそ、画面のやわらかさと幻覚が見える気持ち悪さのギャップが大きくなって、恐ろしいと形容される映画になったのだと思います。
でも反対に、それは不気味キレイな夢を見ているような心地よさでもあり。僕はそれで身体の力が抜けるような、謎の浄化をガンガン感じていました。キマってたのかもしれない。
ということで、マジックマッシュールーム経験者らしいアリ・アスター監督が特にトリップシーンに熱意を傾けたという『ミッドサマー』。まさに「見るドラッグ」といった仕上がりになっているので、ドラッグ体験をしてみたい人は、違法ドラッグに手を出す前に、とりあえずまずは『ミッドサマー』を見てみればとイイと思います。
蛇足な追記(2019.3.29)
ダニーがかぶっているカラフルな花冠の中で、ひとつだけ妙に中心部が黒い花があります。
うごめく植物の中でも、一番最初に動きはじめ、なおかつ一番目だつ花なんですが、なんだかこれヒヨスを連想させるようなデザインだな……ということに気がつき、メモがてら追記しておきます。ヒヨスとは、摂取すると幻覚や浮遊感といった向精神作用をもたらす有毒の花です。
北欧に自生はしないのと、ダニーの冠にあるようなピンク色の花ではないので、あくまでデザインのモデルかな?という推測ですが。
おわりに
以上長くなりましたが、5つのトピックに分けて『ミッドサマー』の個人的な感想を書きつらねてみました。賛否両論あると思いますが、僕個人としてはものすごく心洗われる作品だったなァ、と感じています。
ちなみにドラッグってどんなものなのか知りたい方には、『夜想』とか出してるステュディオ・パラボリカの『2minus #02 ドラッグ特集』が、入門書としてオススメなんじゃないかな~と思います。「ドラッグ」と呼ばれるものの解説から、それにちなんだ小説や映画の紹介まで掲載しているのですが、幻覚的なビジュアル写真が豊富に挟まれているので、何となくドラッギーな世界観みたいなのまでつかめる良書です。
通販にはもうないのですが、古本として普通に安価で出回っているので、入手は簡単だと思います。
当たり前ですがドラッグの使用をススメているワケではないので誤解のないよう。この世でドラッグよりももっと危険なものは「無知」だと思っているので。
『ミッドサマー』で浄化された話 その④メンヘラ救済編
『ミッドサマー』を観てハラハラドキドキするつもりが、不覚にも無限の浄化作用を受けて帰ってきてしまった人が語る、『ミッドサマー』解説と感想の記事です。
今回は、
といった5つのトピックの内、その④「これはメンヘラの救済映画である」について書いていこうと思います。①~③をまだお読みでない方は、上記リストのリンクから飛べますので、先にそちらに目を通していただけるとわかりやすいかもしれません。
ダニーの悲しみは監督アリ・アスターの悲しみでもある
主人公のダニー(dani)は、映画冒頭で妹が両親と無理心中してしまい、多大なショックを受けます。それによって精神がひどく不安定になってしまうのですが、そもそもそれ以前から、ダニーは双極性障害、つまり躁鬱病を患っていました。
まだ家族の死が判明していない時から、抗不安薬を飲んでいるシーンがあります。
ダニーの妹もなぜ両親と心中してしまったのかと言えば、鬱病が悪化して悲観的になったからで。姉妹で鬱病だったのか~と思うと、なかなかキツイものがあります。
鬱病のなりやすさに関わる「ストレス脆弱性」には、ある程度、遺伝子的な要因もあるそうです。ダニーの一家は繊細な人が多かったのかもしれません。
僕も親が鬱病だった時期があり、自身もみごとに鬱病をキメた過去があるので、『ミッドサマー』には冒頭から感情移入しまくりでした。
ダニーは作中で、何度も死んだ家族の幻覚を見ます。家族を失ったショックからずっと立ち直れないでいる、という表現でしょう。
TBSラジオ「たまむすび」にて映画評論家・町山智浩氏が語っていた話によると、『ミッドサマー』の監督アリ・アスター(Ari Aster)も、過去に弟を亡くした経験があるそうです。彼の前作『ヘレディタリー 継承』なんかは、その抱えきれないトラウマを吐き出して癒すために作ったとか。
さらに当時のアリ・アスターは、落ち込む彼を支えきれなくなった恋人に捨てられた経験までしたそうで、それが今回の『ミッドサマー』に繋がっている、と言います(町山氏談)。
無能彼氏とけなげな彼女
『ミッドサマー』におけるダニーのボーイフレンド、クリスチャン(Christian)の、頼りにならない感はもう徹頭徹尾すさまじいです。笑えてくるレベルでひどいです。
「お前もうちょっと彼氏として気の利いたことできんのか?」と思わず張りたおしたくなるようなキャラクターですが、なぜ彼がそこまでのクズ彼氏っぷりを発揮しているのかと言えば、その人間性はさておいて、すでにダニーへの愛情が冷めかかってる状態だから、というのがまず大きな理由でしょう。
すでに映画の冒頭から、クリスチャンは男友達に「ダニーと別れたい、重すぎる」と相談しています。どうもダニーの精神の不安定さについていけなくなったようです。
恋人に「めんどくさい」と捨てられた経験のあるメンヘラにとっては、胸が痛すぎるシーンですね。ウッ……!!(突然何かを思い出し頭を抱えうずくまる)
一方のダニーは、彼氏と別れたいワケではない様子です。
例えば、そもそもスウェーデンにはクリスチャンとその男友達だけが行く予定でした。ホルガ村の女性とヤることが真の目的だったのだから、そりゃ当たり前といえば当たり前。
それがデニーの知るところとなり、「どうして旅行に行くって教えてくれなかったの」とクリスチャンに怒る場面があります。私が家族を失ってこんなにつらい時期なのに、と。
クリスチャンははじめ、何かと言い訳をしたりダニーをなだめようとしますが、その内めんどくさくなって「もう帰る」とか言いはじめる始末。デニーは「ごめん、もう責めないから」と彼氏が帰ろうとするのを一生懸命引きとめます。何だかデニーの方が悪いみたいな感じになってます。
デニーは自身が彼氏にめんどくさがられていることには気が付いているので、 険悪な雰囲気になることを極力避けようとします。なので死んだ家族のことを思い出して泣き出しそうになった時も、ひとり隠れて泣くというツラすぎる状態。
そんな関係性のままホルガ村に旅立ったふたりですが、ここでイライラというか呆れ案件が積みかさなっていきます。
例えばロンドンから来たサイモンとコニーのカップルに「ふたりは付き合ってどのくらいなの」と尋ねられ、クリスチャンが「3年半だよ」と答えたのをダニーが「4年よ」と訂正するシーンとか。
さらにクリスチャンがダニーの誕生日を忘れていて、男友達のペレにこっそり教えられてはじめて思い出すシーン。そのあと苦しまぎれに間に合わせのケーキでダニーの誕生日を祝いますが、ここで風が強くて蝋燭に全然火を付けられないのが何とも情けないですね。
そんなこんなでどんどんダニーの(何やねんこいつ)感が高まっていった挙句、クリスチャンが(ドラッグで判断力がにぶっていたとはいえ)ホルガ村の女の子・マヤと性交に及んでしまいます。
これが決定打となって、ダニーが「メイクイーン」として神にささげる生贄を選べる場面、彼女はクリスチャンを生贄に選びます。クリスチャンはドラッグ漬けになったまま、熊の皮をかぶせられ、炎にまかれて死亡します。
果たしてそれは本当に復讐だったのか
この顛末を単純に、「ついにクリスチャンへの未練が立ち切れて、自身を傷つけたむくいとしてダニーは報復に及んだ」ととらえる人も多いかもしれません。
けれど個人的には、去年2019年に、新宿の歌舞伎町でホストの男性が恋人の女性に刺されたという事件をちょっと思い出していました。
この事件で被告の女性は、「最近彼(ホストの男性)が冷たくて悩んでいた」と、「どうしたら好きでい続けてくれるか考えた。一緒にい続けるためには殺すしかないと思った」と供述しているそうです。
これと同じで、『ミッドサマー』においても、ダニーはクリスチャンを怒らせて仲を険悪にしたくないので、呆れはしてもクリスチャンに怒鳴りちらすようなことは決してしないようにしています。けれどそれでも、離れていくクリスチャンの気持ちを取りもどすことはできないし、さらに彼は他の女性と性交する始末。それならいっそ殺してしまおう、というような衝動的行動のように、僕には思えました。
ダニーが、クリスチャン(正確に言うとクリスチャンが閉じ込められている三角の建物)が燃えているのを見てにっこりとほほ笑むシーンがありますが、あれは「ざまあwww」っていう笑いより、もう彼氏がこれ以上自分からはなれていく辛さを味わう必要がなくなった、という安心と解放の笑みの様に見えました。
ダニーの安息の地となったホルガ村
鬱を患っている人や、メンヘラ気質の人って、実際に周りに人がいるかどうかに関わらず、心理的に孤独であることが多いんですよね。そして、その孤独を満たしてくれる存在や場所に、強く依存する傾向があります。
『ミッドサマー』のダニーも、家族を失い、しかし彼氏も支えてくれずに、心理的にとても孤独な状態にありました。
そんな状態で訪れたホルガ村で、村人の女性たちはダニーを料理に誘ったり、一緒に踊ったりと、仲間として積極的に関わってくれます。クリスチャンがマヤと性行為に及んだショックでダニーが号泣している時には、一緒に声いっぱいに泣いてくれます。まァこれは貴方たちの儀式のせいでしょって感じではあるんですけど。
それでダニーは、心理的な支えというものを、ホルガ村に見出します。ハタから見れば、洗脳された、狂気に堕ちたように見えるかもしれませんが、孤独だったダニーにとっては自分を受け入れてくれる安息の地を見つけたワケです。
その④まとめ
そういうわけで、恋人との永遠を手に入れ、自分を受け入れてくれる場所をも見つけた、という見方をしてみると、『ミッドサマー』はメンヘラが見ていて最高に救済を感じる映画なんではないでしょうか。
シチュエーションがシチュエーションなので「何が救済だ」と感じる方もいるかもしれませんが、仮に、結婚しただとか妊娠しただとか何でもイイんですけど「恋人はもう絶対に自分を裏切らない」と錯覚しちゃうような状況におちいって、さらに周囲の人間が全員むちゃくちゃ優しい、という環境に置かれたら、誰しもが人生バラ色!と勘違いしてしまうと思いませんか?
それと同じで、『ミッドサマー』は、観る側の捉え方とは別に、主人公のダニーにとってはまぎれもないハッピーエンドだと思います。
そして僕にもハッピーエンドだと感じられたからこそ、『ミッドサマー』は僕にカタルシスという名の浄化作用をもたらしたのだな、と思います。
その⑤「そしてこれはまぎれもないドラッグ映画である」に続きます。
『ミッドサマー』で浄化された話 その③魅惑の死体編
『ミッドサマー』を観てハラハラドキドキするつもりが、不覚にも無限の浄化作用を受けて帰ってきてしまった人が語る、『ミッドサマー』解説と感想の記事です。
今回は、
といった5つのトピックの内、その③「魅惑の死体」について書いていこうと思います。①②を未読の方は、上記のリストから飛べますので、まずはそちらから読んでいただけると分かりやすいかもしれません。
魅惑の死体
時に「死」というものは強い魅力を放ちますが、『ミッドサマー』でも人が死んで、というよりは殺されて、色々な形で遺体が出てきます。
今回はその中でも特に、個人的にこれは!と思った遺体について言及したいと思います。
拷問「血の鷲(Blood Eagle)」を受けたサイモン
まずひとつめは、村人の私刑を受けた、サイモンの遺体です。正確に言うと遺体ではなく、まだ生きていて、このまま放置したらのちに死ぬだろう、という状態なんですけど。
彼は発見された時「血の鷲(Blood Eagle)」と呼ばれる拷問を受けた状態でした。
犠牲者をうつぶせに寝かせて、生きたまま背中の皮を剥ぎ、肋骨を剥がし、両サイドに広げる。するとそれが広げた翼に見えるので、「血の鷲」と呼ばれているそうです。『ミッドサマー』では肺も体外に出されていますね。
例えば人を丸焼きにする「ファラリスの牡牛」だとか、男性器を切り落とす「ワニのペンチ」だとか、動物名が付いている拷問方法はすべて拷問の器具がその形をしていたからですが、
「血の鷲」というネーミングは器具ではなく人体そのものを動物に見立てているので、なかなか洒落が利いています(ブラックすぎるけど)。
『ミッドサマー』公式サイトのネタバレぺージによると、その昔、父を殺されたバイキングの王が復讐のために行ったという記録があるそうです。まァそれが史実かどうかはわかりませんが、かなり猟奇的な処刑方法です。見せしめ的な意味もあったんだろうと思います。
この拷問方法について調べていたら、『Vikings』というカナダのTVドラマシリーズを発見しました。
9世紀に西ヨーロッパ諸国をおびやかした、凶暴なヴァイキング王にして伝説の英雄、ラグナル・ロズブローグを主人公にした歴史ドラマだそうですが、ここにも「血の鷲」の処刑シーンが登場します。
※グロテスクなので苦手な方は閲覧注意。
この『Vikings』、むちゃくちゃクオリティが高くて面白そうだな~と思っていたら、日本でもAmazon Primeでシーズン5まで観れるみたいです。やったねたえちゃん!血の鷲が見られるよ!(観ます)
『ミッドサマー』のサイモンが発見された時、体外に出された肺がわずかながら動いていました。つまりまだ彼は生きていたということなんですが、はたしてあんなことをされても人間は生きてられるのか?という疑問がちょっと浮かんだり。
で、帰宅してから手元の本で調べてたりしてみたんですが、マルタン・モネスティエの著書『死刑全書』に解体の刑罰がいろいろ紹介されていて(ここに『血の鷲』は載ってないんですが)、
この中で、かつて北京のフランス公使館につとめていたマティニョン博士というひとが残した、19世紀末の中国の解体刑についての記録が紹介されています。
要約すると、「慣習に従って罪人が順番に切り刻まれていくが、数時間後に罪人が死んだ時にはすでにその体はバラバラだった」といったような内容で、
つまり裏を返せば、ほとんどバラバラになるまで受刑者は生きていた、ということなんですよね。
解剖学を持つ処刑人がやれば、受刑者はわりと生きているのかもしれませんね。
あとネットの記事によれば、古来の解体刑は身体を大きく切り開いて内臓を取り出していくようなものだったのが、これだと受刑者は身体を切りさかれた段階で出血死やショック死をしてしまって拷問の意味がない。そこで次第に、身体は手が入る程度だけ切り、そこに処刑人が手を差し込んで、内臓を引き出していくという方法が編み出されていったとか。
内臓には痛覚がないので、出血量に気を付けさえすれば、かなりの内臓を引きぬくまで受刑者は気絶することも死ぬこともなかったそうです。
『ミッドサマー』作中でも、後半の方で大人が子供に向かって、熊の解体処理について詳しく教えているシーンがあります。あんな感じで、動物のみならず人間の解体にも長けた人が、ホルガ村にもいるのかもしれません。
飾り付けられた生贄の美しさ
『ミッドサマー』のラストでは、村人と旅行者合わせて9人の人間が生贄に捧げられますが、このうちの4人はすでに死んでいます。
ちなみに、このラストのシーンでロンドンから来た旅行者であったコニーの死体が濡れていたのは、彼女が溺死させられたから、らしいですね。
僕が見たのは148分の通常版だったのですが、171分あるディレクターズカット版には、コニーが溺死させられる儀式が描かれているそうです。何故初めからディレクターズカット版を上映してくれないのか。
生贄の死体はどれもある程度解体されていて、例えば下半身を切り株に、両腕を木の枝に置き換えられていたり、革を剥いで中に草が詰め込まれていたり、目に花が差し込まれていたり(これは先程紹介した「血の鷲」の拷問を受けたサイモンの死体なんですが)しています。
これを見て思わず想起したのが、ジョエル・ピーター・ウィトキンの名前でした。
ジョエルピーターウィトキン(Joel-Peter Witkin)はアメリカのアウトサイダー系の写真家なんですが、その作品作りのひとつに、死体を飾り付けて、時に宗教画っぽく、時にヴァニタス画っぽく撮るという手法があって、非常にダークな美しさを持っています。
『ミッドサマー』の生贄の死体には、同じインモラルな美しさがありました。もっと全体像をしっかりと見たかった。火をつけた瞬間思わず「燃やさないで!」と思ってしまったり。
ウィトキンの写真に惹かれる人は、『ミッドサマー』の生贄がどういう風に飾り付けられて美しいか、というところにゼヒ注目していただきたいです。
「死を通して死以上のものを見(魅)せる」ということ
一応付け足しておきたいことは、「『ミッドサマー』はグロい死体がいっぱい出てくるから面白いよ!」と言いたいワケでは決してない、ということです。死体が出てくる映画はそれこそ死ぬほど存在します。ショッキングなゴア表現を求めるだけなら、『SAW』とか『ブレインデッド』とか『セルビアンフィルム』とか観た方がよっぽど満足度は高いと思います。
ウィトキンの写真も、見る側の死体や奇形への好奇心を刺激することだけが目的ならば、ただド派手な死体をド派手な色彩で撮れば済むはずです。しかし彼の写真は、そうしたタブーとされがちなモチーフを、神話や西洋美術のフィルターを通して、暗黙のメッセージ、新たなイメージを内包した作品へ昇華しているからこそ、見る側を真に惹き付けています。
『ミッドサマー』も、ただショッキングな作品にしたいのなら、「ホルガ村の狂人たちが旅行者を大虐殺!」みたいな筋書のスプラッターにしたはずですが、実際はそうではありません。この映画で繰り広げられる「グロテスク」の中心を、生命を賭した信仰が貫いているからこそ、この作品は恐ろしくもありながら、一方で邪悪な魅力を持った仕上がりになっています。
現代社会の中でなら狂気と呼ばれるかもしれないホルガ村での惨劇の数々が、僕の中でただの衝撃に終始せず、不思議な浄化作用までもたらしたのは、『ミッドサマー』にそうした美しさがあったからなのかな、と思っています。
余談ですが、「グロいけど何故か浄化された」作品といえば、『マーターズ』を観た時にも過去に同じ感想を抱いた記憶があります。
『ミッドサマー』なんてかわいく見えるレベルのトラウマ級ゴア映画ですが、この『マーターズ』もまた、カルト宗教の理想のために人がヒドイ目に合う、というストーリーなんですよね。
信念があれば人をボコしてもイイ!というワケではありませんが、信念があればどこまでも残酷になれる人間の狂気に惹かれるのかもしれません。
- 作者:Witkin, Joel-Peter,Celant, Germano,Castello Di Rivoli (Museum : Rivoli, Italy),Solomon R. Guggenheim Museum
- 発売日: 1995/09/01
- メディア: ハードカバー
その④「これはメンヘラの救済映画」に続きます。
『ミッドサマー』で浄化された話 その②美の破壊編
『ミッドサマー』を観てハラハラドキドキするつもりが、不覚にも無限の浄化作用を受けて帰ってきてしまった人が語る、『ミッドサマー』解説と感想です。
今回は、
といった5つのトピックの内、②の「美しいものが破壊される瞬間のカタルシス」について書いていこうと思います。その①を未読の方は、まずはそちらからご覧いただけると嬉しいです。
海で生まれた美少年、山に死す
ホルガ村にはダンという名前の白髭の生えたおじいちゃんが出てきます。
前回の記事で解説したアッテストゥーパという儀式の中で、このダンおじいちゃんは崖から飛び降りて自害しようとします。が、先に飛び降りたおばあちゃんと違って、足を下にして飛び降りてしまったせいか、両脚がバキボキになっただけで一発で死ねませんでした。
砂利の上で仰向けになった状態で、言葉にならない声で喘ぐダンじいちゃん。即死できないことが不吉な意味を持つのか分かりませんが、村人たちは狂ったように泣き叫び、デニーら旅行者一行もショッキングすぎる光景にパニック状態。まさに現場は阿鼻叫喚地獄。
で、そのままでもどうしようもないので、村人があらかじめ用意していた木の鎚で、ダンの頭をかち割ってトドメをさします。
この演出、描写を見た瞬間、「あ~~~監督、趣味悪い~~~!!」と全僕がスタンディングオベーションです。
ご存知の方はご存知だと思いますが、このダンという名前のおじいちゃん、ビョルン・アンドレセン(Björn Johan Andrésen)という名前のスウェーデンの俳優が演じています。
彼は1970年の『ベニスに死す』という名前の映画で主演を務めて、その美貌から一躍有名になった俳優です。
そもそも『ベニスに死す』という映画自体が、老いた作曲家がイタリアのベニス、つまりヴェネチアで出会った美少年の美しさに心を奪われて、ついには死んでしまうという内容で、この美少年役を演じたビョルン・アンドレセンは、まさに映画史上の「美少年」アイコンになったワケです。
今でも、「映画の美少年」を語る時には必ずと言っていいほど引き合いに出される役者ですね。
そういう映画の中で美少年として崇められてきたビョルンを、映画の中で殺す。
しかもあの世界一の美少年と謳われた、美しい顔面をかち割って、ですよ。
こんないかにも象徴的な、イヤ味たっぷりの演出、ありますか???
これは確実に明確な意図をもって演出されていると思います。本当に意地悪なイヤ味だと思います(褒めてる)。イタリアの海辺で燦然と輝いた美は、スウェーデンの山奥で無惨に果てるんですね……。
美しいものこそ残酷に破壊されてほしい性癖の歪んだオタクに絶対に勧めたいシーンです。
ありがとうビョルン、死んでくれて
『ミッドサマー』と関係ない個人的な話です。
かくいう僕も『ベニスに死す』で魔性の美少年というジャンル(?)を知って沼にハマり色々おかしくなっていった一般的なオタクなので、『ベニスに死す』以外にさほど目立った俳優活動のないビョルンがまさかこんなタイミングでまた観られるとは、とありがたい気持ちでいっぱいです。
別に演技が抜群に上手いワケでもなく、個人的にそんな好みかというと実は言うほどでもない、という僕にとってのビョルン・アンドレセンなのですが、胸に刺さったまま何故か面影が消えない俳優っていませんかね、いわば僕の中のビョルンはあの類です。
そのズルズルと訳の分からないまま引きずっていた片想いというか片憎しみみたいなのが、今回の『ミッドサマー』でバツンと断ち切られた気がして、謎に浄化されてしまった気がしています。
夢が終わった悲しみよりも、現実に戻った瞬間の虚脱感みたいなのが強かったです。
ちなみに僕が夢の中で生きていた時代、「美少年」に熱をあげていた頃に雑誌に書いた記事があるので、良かったら読んでみてください。
『ベニスに死す』でビョルンが演じた美少年・タッジオについてや、竹宮恵子『風と木の詩』、森茉莉『枯葉の寝床』、あと劇団・維新派などについて言及しています。
その③「魅惑の死体編」に続きます。