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『ミッドサマー』で浄化された話 その①原始宗教、民俗編

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 アリ・アスター監督『ミッドサマー、映画館に行って観てきました。

 「狂気の祭」なんてキャッチコピーにも書かれたりしていて、一体どんなトンデモサイコ映画なんだろう、なんて内心ちょっとドキドキしたりもしてたんですが、

 観終わって映画館を出た時、ジェットコースターに乗り終わった後のような興奮はまったくありませんでした。むしろ無限の静寂。まるで閉園後のディズニーランド。

 エッ、、むっちゃ浄化されたんだが……???

 遊園地に行こうと思って入ったら実はそこお寺でした、みたいな超展開。ミッキーマウスすら満面の笑みを忘れて無の表情になるほどの超ビックリ。

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例えるならそれは1959年のカリフォルニアディズニーランドのミッキー

 

 一応言っておくと、僕は「初カキコ…ども…」みたいな「グロ耐性ありますけど何か^^;」みたいな厨二ドヤァがしたいワケではないです。

dic.nicovideo.jp

 『ミッドサマー』は、僕自分が普段美しい、好ましいと感じる事物を、僕が美しい、素晴らしいと感じるような方法で調理してくれている作品でした。その感性のマッチングがすさまじいカタルシスを引き起こして、エレクトリカルパレードを見ていたはずが悟りを得た、みたいな状態になったという。

 

 ということで『ミッドサマーの』色んな魅力の中でも、個人的にここにグッと来たというポイントを、以下の5つに分けてピックアップして語りたく思います。

 この中に惹かれる項目があったら、『ミッドサマー』の浄化作用を受けられる可能性大なので、ゼヒ映画館へ涅槃を獲得しに行ってください。今回はその①原始宗教、民俗のエモさについてです。

 ※本記事はネタバレを多大に含んでおりますので、未鑑賞の方はご注意ください。

 

 

 

 

簡単なあらすじ

 まず簡単にだけあらすじを説明しておくと、主人公はダニー(dani)という名前の、アメリカの女子大生です。花冠かぶってギャン泣きしている顔がポスターになっていて、映画観る前からいかにもかわいそうな感じが伝わってきますが、冒頭で家族を無理心中で失ってしまって、もとから不安定だった精神がさらに不安定になってしまいます、やっぱりかわいそう。

 そんな彼女が、彼氏と、彼氏の友達3人と一緒に、夏休みにスウェーデンホルガという村に旅行に出かけます。男性陣はスウェーデン女性とS〇Xしまくりたい、というとても健康的な下心付きです。ホルガ村では、独自の宗教勘に基づいた夏至祭が行われるのですが、そこで女性とS〇Xができると聞いたからなんですね。鬱のドン底にいるダニーとの温度差で観てる方が風邪ひきそう。

 そしてホルガ村のお祭りに参加した主人公たちが、どういう風になっていくのか、というのが、大まかな話の流れです。

 

 

 

舞台がスウェーデンだという時点で血生臭はお察し

 『ミッドサマー』で主人公たちが訪れるスウェーデンのホルガ村は、架空の村ですが、ペイガニズムというと侮蔑的な意味合いにもなるらしいので適切でないかもしれませんが)――古い自然崇拝や多神教的な信仰の中で人々が暮らしています。

 

 スウェーデンって今でこそ社会福祉の進んだ先進的な国家というイメージですけど、ヨーロッパ圏の中でも、キリスト教が12世紀頃(日本でいうところの鎌倉時代まで浸透しなかったという過去があって、キリスト教からしてみれば長らく未開の、文明の遅れた土地だったらしい。

 もともとは、知恵の神・オーディン最高神と崇める北欧神話を基本的に信奉していた、ヴァイキングの土地でした。

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こういう兜をかぶったヴァイキングステレオタイプは史実ではないらしい。


 しかしそのヴァイキングが近辺の海で略奪行為をするので、西ヨーロッパ諸国はおこ😡でした。そこでヴァイキングキリスト教が推し進められます。

 言葉や居住地域が違っても信仰が同じなら、同じ文化圏の人間という認識が生まれます。「敵対勢力」ではなく、「同胞」という認識になるんですね。

 例えば日本でも、古来各地に土着の宗教があったのが、飛鳥時代に大陸から仏教が渡ってきて、天皇を中心とした中央集権国家を作ろうという意図のもと国をあげて仏教が広められた歴史があります。

 ヨーロッパでもそれと同じように、異郷のヴァイキングキリスト教化が進められていき、12世紀になってようやくスウェーデンもほぼキリスト教圏になった、というワケです。

 キリスト教に染まっていないホルガ村をスウェーデンに設定した理由のひとつには、スウェーデンのこうした歴史を鑑みた、ということが挙げられるんじゃないかな~と思います。舞台設定からしてアツイ。

 

 

 

ペイガニズム映画のテンプレを全反転

 ホルガ村は今だキリスト教を信仰していない、キリスト教圏からみれば「未開の」コミュニティですが、

 よく考えれば、過去にこういう「未開の文化を持つコミュニティに迷い込んだ青少年が殺されたり食べられたりする」っていう映画はいくつも作られてるんですよね。グリーン・インフェルノとかよく引き合いに出されますが。

 大体こういう映画って、どれもジャングルの暗い奥底で肌の浅黒い人間が……というテンプレで、まァ差別的というか偏っていることもまた事実ですが。

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ヤハ族の、特に位が高い人たちのファッションがGOODな作品。

 『ミッドサマー』の構図自体は、こういう作品と全く同じだと思います。舞台が暗いジャングルから明るい山村に、肌の浅黒い人達が白人になっただけ。

 今さら構図は目新しくも何ともないけれど、「こういう物語の構図ならこういう舞台背景、こういう部族が出て来るでしょ」という固定観念が全部反転されているので、それに衝撃を受けている人が多い印象です。

 そのインパクトとグロさばかり語られて、ホルガ村のカルトの特徴やその行為の意味といったポイントがスルーされている(気がする)ので、原始宗教ヲタクは後者にこそ背徳のエモを感じてほしいです。

 

 

 

ホルガ村の儀式とその意味とは?

姥捨て伝説 北欧ver.

 ホルガ村の70歳を超えた男女ふたりの老人が、「アッテストゥーパ(Ättestupa)」という儀式で崖から飛び降り、自らの命を天に返す、というシーンがあります。「アッテストゥーパ」というのはウェーデンで「崖」「絶壁」を意味するらしい。

 作中では、「死んだ老人の名前は新しく生まれた赤子に授けられる」とまるで輪廻転生のように説明されていますが、半分姥捨て的な意味もあるんだろうと思います。

  北欧ではその昔(と言っても先史クラスの大昔ですが)、老人が崖から自ら身を投げる、もしくは誰かに突き落とされるという儀式が実際にあったそうな。

 貧しい時代、働けなくなった老人を切り捨てるというのは、世界の各地であったことなんでしょうね。日本でも働けなくなった老人を山に捨てて来る「姥捨て山」の民間伝承が残ってますし。

 関係ない話ですが、同名の小説をもとにしたデンデラという映画は、この日本の姥捨て伝説を基にした話で、雪山でサバイバルしまくるパワフルなおばあちゃんたちが面白いのでオススメです。

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 まァ今現在のホルガ村に、働けなくなった老人を養う力がないのかどうかは分かりませんが、この儀式の始まりがそうした口減らしを意図していた可能性はありますね。

 老人が死ぬことが良いとかいう話ではなく、ただ宗教儀式やコミュニティ内のルールというものは生きる厳しさの中から編み出されたものもあるワケで、

 そうしたキレイごとに収まらないサバイブでシリアスな側面を想像すると、ヲタク心にはグッときます。

 

 ちなみに、ノルウェーヴァイキングを描いたNetflixのシリーズドラマ『Norsemen 』にも、アッテストゥーパのシーンがありました。

 こっちは『ミッドサマー』の痛々しさはゼロの、まったくのコメディ調ですが。

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信仰 ≫≫≫[超えられない壁]≫≫≫ 人命

 『ミッドサマー』が怖いと言われる所以に、「村人を怒らせたらどえらい目に合う」というのがひとつ挙げられるのかな~、と思います。

 いや、悪いのは怒らせた方なんですけどね。先祖代々伝わる大切な倒木にションベン引っかけたり、写真撮っちゃダメって言われてる聖書を夜中に盗撮したり。

 他文化尊重できないマンが殺されるのは、ペイガニズム映画のお約束。

 殺され方はそれぞれ、撲殺され土に埋められていたり、生きたまま解体されたり。特に後者については、先述の3つめの項目「魅惑の死体」にてまた詳しく語ります。

 

 我々が生きる現代社会の倫理観からすれば、「例えキレ散らかしても厳しい社会制裁を受けることになるので人殺しはやめよう」となるワケですが(ちなみに日本の法律には「殺人をするとこのような法的制裁を受ける」ということが記載されているのであって「殺人がダメ」とは一言も書いていません)

 ホルガ村の人々は「このままでは神の制裁を受けることになるので人殺しをしよう」といった発想や感覚に近いんですね。

 この信仰が優先されるあまり人命がどこまでも軽くなっていく世界、最悪なのが最高ですね~~~~!!

 

 

 

9人もの生贄は誰に捧げられているのか

 ラストのシーンでは、夏至祭のクライマックスとして、外部からの旅行者と村人を合わせた9人の生贄が捧げられます。

 基本的に生贄を捧げるという行為は、信仰する神や大きな力に対して「こうしてほしいんですけどこれだけ生贄あげるからどうにか頼めませんかね」と祈りを伝えるために行いますが、ホルガ村では「何の願い」のために、この9人もの生贄を「何の神」へ捧げているのかな、とちょっと考えました。

 

 物語冒頭で長老が村人たちに「多くの恩を返さなくては」と祝祭の始まりを告げる通り、祭りを執り行い生贄を捧げる目的は、90年間の恵みに感謝して、「次の90年間も頼んますわ」と神に祈るためだと思われます。

 ではその神は、いったい何の神なのか?

 ホルガ村の人々が信仰している神や神話がどういったものなのかは作中では詳しく語られませんが、生贄が安置されて火を付けられる小屋の内側に、とあるルーン文字が書かれています。

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黄色い〇地に書かれた、ひし形に×印を重ねたようなルーン文字

 

 作中であまたに登場するルーン文字が、ゲルマン共通ルーン文字と呼ばれる、ルーン文字の中でも最も古い体系のものであるのに対して、

 このルーン文字だけアングロサクソンルーン文字という、イングランドを中心に使われたちょっと新しめのルーン文字です。

 文字の名前は「Gar」といって、Spear(槍)を意味しています。

 北欧神話で槍と言えば、オーディンが持っている最強のブーメラン槍グングニルですね(投げると百発百中で手元に戻ってくるチート武器)

 

 オーディンルーン文字を得るために、ユグドラシルの樹で首を吊ってこのグングニルで自分を突き刺し、9日9晩耐え抜いたというあたおかエピソードの持ち主ですが、

 それはさておき、このGarというルーン文字オーディンの象徴でもあることから、生贄はオーディン、あるいはオーディンも含む北欧神話の主神たちに捧げられていたのではないか、と思いました。

 それが変質して、ホルガ村オリジナルのカルトと化している可能性は十二分にあるので、我々の想像するあのオーディンとホルガの村人が崇めるオーディンが同じ神なのかは分かりませんが。

 

 まァさらに言えば、オーディンを信奉していた時代のルーン文字だけが形骸として引き継がれているだけで、今はまったく別の神に信仰が向いている可能性も無きにしもあらずなので、断定的なことは全く言えないんですけどね。

 古来からスウェーデンに根付いていた北欧神話がホルガ村の信仰の下敷きにあると想像すると、ワクワクするゥ~~!!という超個人的な性癖の話でした。

 信仰が時代や地域と共に変質して、カルトや密教と化していく際に起こる歪み方や、ゴリ押し超解釈には、いつも興味をそそられますね。

 (日本だと神道の「常世」と仏教の浄土思想が融合して、観音浄土を目指してと死ぬこと前提で海に流される捨身行・補陀落渡海とかヤバイですね)

 

 

意図的に実施/回避される近親相姦

 デニーの彼氏・クリスチャンが、ドラッグで酔わされホルガ村の少女・マヤと性交してしまう、という一種のNTR要素がある『ミッドサマー』ですが、

 マヤはクリスチャンにもとから気があったとはいえ、最終的にふたりが一緒になって良いかどうかは、長老が占いによって判断しています。

 なぜ自由恋愛の上で相手を決められないのかという理由のひとつに、「近親相姦を避けるため」というのがあるでしょう。

 ホルガ村はとても小さなコミュニティです。その中でだけで子孫をつないでいけば、血が濃くなるのは当たり前で、それを回避するためにクリスチャンのような外部の人間から子種をもらって村を存続させています。

 反対に、俗世の穢れがない現代社会では障害者と呼ばれる)子供を授かりたい時は、近親相姦を進めているらしい。

 

 ちなみに今後役に立つことはないだろう豆知識ですが、この「近親相姦における奇形児が生まれるリスク」というのは、1代限りであれば、赤の他人同士が生殖した場合と比べてほとんど変わらないそうです。

 この近親相姦がさらに2代、3代と続いた場合に、そのリスクが飛躍的に上がるという話。

 あと日本の法律では、相手が成人していること、合意のもとであることは大前提として近親の性行為自体は禁止されてません。禁止されているのは、3親等内での結婚です。

 またこの3親等というのも国によってマチマチなので、日本だと4親等以上であれば、いとこ同士でも結婚OKですが、それがダメな国もあるし、反対にいとこ同士の結婚の方がメジャーな国もあります。パキスタンなどは、今も結婚の半数以上がいとこ同士らしい(結婚の70%以上がいとこ同士というデータもあるそうな。ホンマかいな)

 

 話が逸れましたが、つまるところホルガ村で行われる性交の一番の目的というのは、快楽ではなく生殖にあるんですね。

 大切なのは個人間の愛ではなく、共同体への献身愛です。

 そういった思想への否定から現代の自由恋愛市場は生まれているワケですが、種の存続のために個々人の意思が二の次にされるプリミティブ世界、創作の舞台としてはエモさ200満点です。

 

 

 

その①まとめ 

 ということで、現代社会の中であれば批判されるであろうことがホルガ村では行われていますが、こういった要素が背徳的な魅力を放つこともまた事実。

 その中でも今回は、ホルガ村の原始宗教や民俗的観点から見た感想をピックアップしてみました。プリミティブな美しさ、それは恐怖や狂気と紙一重にあるからこそだと思います。

 その②「美しいものが破壊される瞬間のカタルシス」に続きます。

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湯船にお湯が溜まりません

 今年は暖冬だとは言うけれど、冬は冬である。寒いことに変わりはない。

 凍えて帰宅した時、時折浴槽にお湯を溜めようとする。そして途中で諦めて栓を抜いてしまう、ということをよくやる。

 今の賃貸に引っ越してもう3年になるのだけど、この部屋の湯船には未だに一度も浸かったことがなかった。

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永遠に夢のままでいて、サンタクロース

 毎年街がイルミネーションに彩られ、クリスマスソングが流れるこの時期に、家電量販店なんかで大きな荷物を片手にした大人を見ると、「サンタさんかな」と思って目で追ってしまう。同時に、自分の子供の頃のクリスマスを思い出したりもする。

 それは恵まれた、幸せなイベントで、むなしくて、あっけなく終わった夢だった。

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掛け時計をゴス風にリメイクする

 生活の必須アイテムである時計。目立つ場所に置く時計はできるだけ部屋の基調と合わせたいものですが、ピッタリのものが見つからない時、リメイクしてみるというのもひとつの手です。今回購入した時計を自分好みにカスタマイズしてみたので、その手順を以下にまとめてみました。

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バラナシに死す

 11月から12月にかけて、インドを旅していた。西海岸のムンバイから入国して、アウランガーバード、ニューデリー、アーグラー、バラナシを経て、東海岸コルカタまで。インド半島を横断すること3週間と少し。その中でも一番長い間滞在したのはバラナシで、1週間もの間ここで過ごしていた。旅程の3分の1をバラナシに費やしたことになる。そんなにかけて一体何をしていたのかというと、まったくもって何もしていない。ただ毎日ガンジス河沿いを散歩して、ボーッとして、日没の礼拝儀式を見たり遺体が燃え尽きるのを眺めたりして、何となく過ごしていた。

 

 

バラナシに憧ればかりつのらせていた

 バラナシを知らない人に軽く説明しておくと、このバラナシという街はインドの一大宗教であるヒンドゥー教の聖地だ。ガンジス河が流れていて、ガートと呼ばれる階段が河沿いにずらりと広がっていて、そこで沐浴する人がいたり、洗濯している人がいたり、牛が寝そべっていたり、遺体が燃やされていたりする。日本人がインドの風景を想像した時に思い浮かべるのは、大抵こうしたバラナシの光景なんじゃないだろうか。外国人が日本の風景を想像する時、京都の寺社仏閣や舞妓を想像しがちなのと同じような。

 ちなみにブッダが悟りを開いて初めて説法を行ったのも、このバラナシだ(正確に言うとバラナシ県のサールナート市。僕がいたのはバラナシ県バラナシ市)。実はバラナシは、我々日本人と馴染みの深い仏教の聖地でもある。

 

 

 何故バラナシに訪れたかというと、インドに古くから根付くヒンドゥーの宗教観を体感してみたかったからだった。もともと自分は世界の神話や宗教学、民間信仰なんかを学ぶのが好きなのだけど、それ以上にヒンドゥー教の神々は日本の仏教にも多く取り入れられていることから、我々日本人にも馴染み深い。例えば今年2019年のNHK大河ドラマは「いだてん」だったけど、この韋駄天という名前の神様はスカンダという軍神様が元ネタだし、七福神の紅一点・弁財天はサラスヴァティーという女神様が元ネタだ。日本名で「~天」という名前がついていたら大体インド由来の神様なのだ。

 それに仏教なんてヒンドゥー教(正確にはその元となったバラモン教への反発から生まれたようなものなので、そうした仏教の源泉であるヒンドゥー教ってどんなモンかな、じゃあその宗教色が濃い場所に行ってみっかな、という経緯があった。

 また、宗教を見るということは、すなわちそれを信奉する人々の死生観にも触れるということだ。ガンジス河のほとりで、インドの人々の生と死を見つめたいという気持ちもあった。

 ちなみに「ガンジス」とは英語の呼称なので、インドへの敬意をこめてここでは以下よりヒンディー語およびサンスクリット語の呼称である「ガンガー」と記載します。

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ガンガーで検索するとアストロガンガーが出てくるけどこれではない。

 

 

 ガンガーのほとりにて

 バラナシではふたつの宿に泊まって、後半は伝説の日本人ゲストハウス「久美子の家」に寄ったりもしたのだけど、ガンガーの沿岸に建っているものだから、部屋からの眺めは最高だった。ここでの詳しい思い出はまた別の記事に分けて書こうと思うが、蚊に噛まれた痒さで早朝に目覚めたりして、ふと窓の外に目をやった折には、河の向こうからのぼってくる朝陽が見えたりした。日本語でなら「東雲(しののめ)」なんて言うんだろう、空には藤色の雲がたなびいて、河面に映る緋色の陽光がまっすぐこちらへ腕を伸ばしている。何だかこの地から世界が始まったような気分だった。「日出ずる国」なんて全然関係ない言葉をつぶやきそうになった。

 

 でもまァ窓からガンガーを見下ろしてばかりいても退屈なので、毎日河沿いを目的もなく散歩しては、何をするでもなくガートに腰かけてぼんやりしていた。多分そこらを歩いていた牛よりダラダラしていたと思う。

 河の流れを見ていると、これまでの旅の記憶が次々と浮かんできた。インドの思い出はどれも、絶え間ないクラクション音と、赤ん坊の悲鳴と、吠え交わす野犬の鳴き声なんかでまみれているのだけど、ガンガーの静かな波打ち音を聞いていると、そうした騒々しい記憶がよみがえってジーンと耳鳴りがするのだった。

 音だけではない。インドでは何もかもが激しいパトスを放っていて、油断するとその熱量に気圧されてしまいそうな気分にたびたび陥った。実際、バラナシを離れる直前、僕は発熱して寝込むことになるのだが、あれは風邪をこじらせたというよりもインドの熱にあてられた、といった方が近かった。旅の過程で全身に浴びてきた熱量が、臨界点を超えて爆発してしまったみたいだった。僕がガンガーを眺めている時、それはまだぎりぎり飽和していないパトスが体内でくすぶって、噴火直前の溶岩のように出口を求めているような時だった。

 

 僕はそんな熱を冷ますような心持ちでガンガーを眺めていたのだけど、それによって何か感慨が湧き起こったワケでもなく、ただ「汚ねえな~」なんて思っていた。事実、ガンガーはむちゃくちゃ汚い河で、世界的に見ても5本指に入るくらい水質汚染が深刻らしい。今話題の環境活動家、グレタ・トゥンベリさんなんかが目にしたら、あまりの酷さに卒倒しちゃうんじゃないだろうか。ここでは糞便もゴミも、洗濯後の排水も工業汚水も、すべてが一緒くたに流されている。観光ついでにここで沐浴した外国人が皮膚炎や下痢、発熱を起こしたしたなんてのはよく聞く話だ。

 一応それでもガンガーはヒンドゥー教において「聖なる河」だ。ここで勘違いしてはいけないのは「清」と「聖」は決してイコールではない、ということだ。無菌で無害、安心安全な状態は清潔(clean)と呼べるが、それは宗教的に尊いこと(holy)と同義ではない。また、衛生的に「汚(よご)れている」ことと、宗教的に「汚(けが)れている」こともノットイコールだ。ガンガーで沐浴するのは、雑菌を落として清潔になるためではなく、自身が被った不浄を清めるためだ。

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 ……なんて僕が考えている目の前で、河で洗濯したり、豪快に体を洗っているインド人がいたりして、何というかもう、ものすごいなァとしか言えなかった。教育の不行き届きから衛生観念が欠落しているのかもしれないし、貧困からライフラインが整った家に住めていないのかもしれないし、彼らがそうしている真の背景は知らないけれど。

 でもそうした生活感MAXのインド人たちは、いくら眺めていても飽きなかった。僕は日本でこうした「他者と空間を共にする人の生活」というものをほとんど目にしてこなかったからだった。銭湯には数えるほどしか行ったことがないし、河原での洗濯なんて生まれてこの方目にしたことがない。「おばあさんは川へ洗濯に」なんて昔話の枕詞としてしか聞いたことがない。「井戸端会議」といった言葉からも連想されるような、水場に人が集まって生活を共にしているような光景、日本ではもうほとんど残ってないんだろうなァ、なんて考えていた。それはもちろん衛生観念の浸透とライフラインの発展のおかげだから、素晴らしいことではあるのだけど。ガンガーでのびのびと洗い物をしている人を見ていると、そのたくましさが自身にないような気がしてきて、僕の興味の視線はそのうち羨望のまなざしに変わっていたように思う。あの言葉にならないエネルギー、一体何なんだろう。

 

 

火葬場で燃えていたのは死ではなく生だった

 ガンガーのほとりには「ダシャーシュワメード・ガート」「ハリシュチャンドラ・ガート」と呼ばれるふたつの火葬場がある。死者はここで荼毘に付され、遺灰はガンガーに流される。それによって輪廻から解脱、つまり無限に続く生まれ変わりヒンドゥーの教えでは84万回も転生しなくてはならないらしい)の宿命から解放されるという。何故そのような言い伝えがあるのかは、ガンガーの神話から伺い知ることができる。


 インド神話の時代、仙人の怒りをかって理不尽にも殺された6万人もの王族がいた。彼らの霊をすべて弔いきるには、天界を流れるガンガーの特別な水が必要だった。王族の子孫は神に祈りを捧げ、河そのものの化身である女神ガンガーは願いを聞き届け、地上に降りてやることにした。この時、流れがあんまりに激しいものだから「このままじゃ地上が割れちゃう!」とシヴァ神が髪の毛で受け止めてくれたりもして、ガンガーの水は無事地上にもたらされ、王族の魂は皆天界にのぼることができたという。そして今も、天界に繋がるガンガーに遺灰を流せば、現世に転生することなくそのまま天界にのぼれる=輪廻から解脱できる、と信じられているワケ。

 ちなみに絵の中のシヴァ神はいつも頭の上からうどんみたいな何かをぶら下げてるけど、あれはシヴァが髪で受け止めているガンガーの奔流で、何なら髪の中に河そのものである女神ガンガーが描かれている時もある。口からピューッと水を吹いているのがちょっとかわいい。

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 と話が脱線したが、火葬場では荼毘の炎が烈しく燃え盛り、灰はもうもうと舞い、いくら腕で顔を覆っても息が苦しかった。死者と共にくべられた美しい極彩の布々はみるみる焼け朽ちて、突き出た死者の足は肉漿を垂らしながら黒焦げていく。遺体が火にくべられてから燃え尽きるまで眺めているつもりが、すさまじい熱気と火煙に、とても長時間はいられなかった。何度も目に煙が染みて、僕は薪の山から顔逸らした。とその視線の先に、ふとガンガーの対岸が見えた。

 ガンガーの向こう側の河辺は不浄の地とされていて、そこにはどんな建物も建っておらず、ただ砂浜が広がっている。さきほどまで遺体が焼かれる景色を凝視していてその向こう岸を見た瞬間、「ア、彼岸だ」と思った。けれどそれは人が死んだ後に向かう神秘に包まれた異世界なんかじゃなかった。ただ俗世の汗ばんだかがやきを享受しなかっただけの、何もない、取り残された地のように見えた。

 

 途端に、僕の中でくすぶっていたあの鬱積したパトスが、ドカンと爆発するような感覚に襲われた。

 

 よくバラナシは生と死が渾然一体となった地だ、なんて言われたりする。人々の赤裸々な生活や、生者の祈りが繰り広げられている傍で、遺体が焼かれ、畜生が野垂れ死にしている。僕もバラナシについて調べていた時は、ここが生と死のすべてが地続きになっている場所であるような、前述と似たような印象を抱いていた。でもガンガーの荒涼とした向こう岸を肉眼で目にした瞬間、そんなワケあるかと思ってしまった。こちら側――ガートとは、インドのすべてのエネルギーが、ガンガーの縁の縁まで津波のように押し寄せて、たけり狂うかのよう生を豪語している最果ての地だった。荼毘の炎は、その賛歌に呼応するかのごとく烈しく燃え上がる。それは死者の弔いではなく、死者を食らい死を糧にして、これでもかとたからかに生を謳うインドのパトスそのものだった。

 ガンガーは暗緑色の境界線だった。遠藤周作がガンガーについて記した小説に『深い河』と題したのを、言い得て妙だと思った。その時の僕には、ガンガーが深い深い、奈落のような崖に見えたのだった。そして僕はそこへ押しやられ、墜落してゆくだろう者だ、と。ガンガーを挟んだこちら側では、言葉もなく理由もなく、ただほとばしるような衝動的な生が、死を足蹴にして哄笑している。こんな奔放で暴力的な生を、僕はついぞ生きたことがなかったから、僕の住むべき場所があるとすれば、あの荒涼とした、黄ばんだ砂に覆われのっぺりとした向こう岸だと思った。

 旅の過程で全身に浴びてきた生そのものの熱量が、その瞬間ついに臨界点を超えて溢れ出し、冷めた僕の魂を温めるどころか、丸飲みにしてしまった。

 僕はすっかり骨抜きにされて、尻尾を丸めた犬のようになってすごすごと宿に戻った。その後バラナシにいる間、火葬場に近寄ることは二度となかった。

 

 

空っぽになってしまった

 自分にとって満足いく人生は何だとか、理想の死に方はどうだとか、過去も未来もひたすらに言語化してきた自身の生を想った。それは生への意欲が低かったせいだけれど、それすらも頭でっかちだなァ、と思った。理屈と共に生を歩むのではなく、もっと本能的に生を駆け抜けるような熱が、人にはあるのかもしれなかった。そのパトスの存在に気が付かないまま、頭でばかり考えている内に、僕はガンガーの向こう岸の人間になってしまったんじゃないか。

 でも今さら何をどう取り返せばいいのかも分からないし、取り返したところで、日本という国では邪魔にしかならないような気もした。そもそもそれが自分にとって本当に必要なのかと聞かれたら、これまた疑問だし。でも自分にないものを言葉すっ飛ばしてまざまざと見せつけられた衝撃というものはそうあるものじゃなくって、あの時にバラナシで襲われた虚脱感から、いまだにどうにも立ち直れていない。

 ガンガーのほとりですすった、あの死ぬほど甘いチャイがもう一度飲みたい、と思った。生きるほどに辛い、を、辛いほどに生きる、に変えたいと思った。

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いちばんわかりやすい インド神話 (じっぴコンパクト新書)

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深い河 (講談社文庫)

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ツレがインドのVISAに落ちてイミグレで強制送還された話

 11月から12月にかけて約3週間ほど、インドを旅行していた。

 本当は今年頭に敢行する予定だったのが、病気をしてしまったため延期となり、10ヵ月越しにしてようやく叶った旅だった。インドに訪れるのはもちろん、3週間という長さにわたる海外旅行自体、人生初めてのことだったので、行く前は不安も大きかったが、何やかんやありながらも無事に終えることができて良かった。旅中の思い出はまた別の機会にゆっくり書いていきたいと思っているが、今回の旅は入国で随分とトラブってしまったため、ここではその顛末を語ろうと思う。タイトル通り、「ツレがインドのイミグレ(入国審査)で強制送還された」のである。

 

 

 

 

e-VISAの審査に落ちたツレ

 ことの発端は11月にさかのぼる。

 インドはVISAが必要な国だ。事前に大使館に行くか、インターネットからe-VISAというものを申し込んで、VISAを取得しておかなければならない。そのことは何ヵ月も前からずっと知っていたのだが、何でも自転車操業な僕とツレは、出発の1週間前まで何も手を付けていなかった。こんなにもダラダラしていなければ強制送還なんて大事には至らなかったかもしれないので反省しているが、悠長になっていた理由も一応あって、というのも、e-VISAなら爆速で取得できると過去の海外旅行経験で知っていたからだった。確かカンボジアのVISAをe-VISAで取得した時は、半日くらいで審査が通ったと思う。もちろん国によってVISAの通りやすさや通るまでにかかる日数は異なると思うので、他国でも同じだろうと高を括るのは危険だが、僕は無謀にもインドVISAもそのくらいで取れるだろうと胡坐をかいていたのである。

 結論から言うと、インドもe-VISAを申請してから審査が通るまで、1日ほどしかかからなかったので、早いのは確かであった。しかしもし審査が通らなかった場合のリカバリを考えると、やはりVISA申請はできる限り早めに着手しておきたい。再申請手続きが申請時と同様、迅速であるかどうかは分からないからである。

 

 さて、出国一週間前になってようやく重い腰をあげた僕とツレは、ふたりで照らし合わせながらe-VISAの申請手続きに取り掛かった。ミスのないよう確認し合いながら、互いに自分のフォームに入力していったのである。この時に、僕をツレの、あるいはツレを僕の「同行者」としてまとめて申請していれば、後述のようなトラブルには至らなかったのかもしれないが、そうした一括申請の方法があることに気が付かなかった僕たちは、それぞれ別個人としてe-VISA申請を提出した。夜にデータ送信して、翌朝には審査の結果がメールで返って来ていたと思う。審査結果はこうであった。

 僕は通ったが、ツレが審査に落ちた

 何故だ。ふたりで照らし合わせて、同じように入力して申請したのに、何故僕だけが選ばれし者みたいになっているんだ。念のために言っておくが、ツレには入国を危険視されるような渡航歴や犯罪歴は一切ない。ごくごく一般人である。初めは理不尽な審査結果にゲラゲラ笑っていたが、すぐにこれは笑い事でないと我に返る。何故ならその時点で、もう出国が5日前くらいに迫っていたからである。

 落ちた理由があるとすれば、僕とツレの入力内容が異なっている箇所だろうと、e-VISAの入力事項を確認した。生年月日やパスポート番号で引っ掛かるはずがないので、原因があるとすれば職業欄である。僕はここにWorkerと記入していたが、ツレはWriterと記入していたのである。国内情勢について色々書かれたくないがために職業ライターに目を付けている国もあるので、可能性としては低そうだが、インドがそうした理由でツレを弾いたということはひとつ考えられた。また、ネットで調べたところ、同じように職業ライターとしてVISAを書類申請したら、観光ビザでなく商用ビザにするよう大使館に指示されたという人の記事を見かけた。今回の僕たちも当たり前のように観光ビザで申請していたので、そこでライターであるツレだけが引っ掛かったのかもしれない。

 ツレはすぐにネットを通して再審査依頼を提出したe-VISAの審査結果に不服がある場合、再審査の依頼をすることができる)。が、半日そこらで返って来た結果は同じ「不許可」であった。もう時間がない。こうなったら大使館に行くしかない。僕たちは翌日、ふたりで千代田区にあるインド大使館へ向かった。

 僕はそばにあった喫茶店でツレが手続きを終えるのを待っていたのだが、1時間ほどして喫茶店にやって来たツレは今にも死ぬんじゃないかというくらい青い顔をしていて、事態が芳しくないことはすぐに察した。ツレが言うには、そもそも取り合ってももらえなかったという。大使館はあくまで通常のVISAを取り扱っているので、e-VISAは管轄外だと言われたらしい。それが本当なら、e-VISAで落ちた人はもはや泣き寝入りするしかないのだろうか。事実なのか、スタッフのアタリが悪かっただけなのかは分からないが、門前払いを食らってしまったのでその日はもうどうしようもない。帰宅してすぐに、ツレはダメ元でもう一度再審査を申請したそうだが(随分と長い嘆願書を書いたらしい)、結果はやはり覆らなかった。

 書類によるVISA申請という定番の方法は残っているが、そんなアナログな方法では、例え審査に通ったとしてもVISA発行までとても残り日数が足りない。そこで、他に何とかVISAを取得する方法がないか、血眼になってネットで検索した。すると、「アライバルビザ(到着時ビザ)という手が残されていることが分かった。日印の友好関係を背景に2016年3月から始まった新しいVISA取得法で、世界でも日本と韓国にのみ許された方法らしい。

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 これだ。というか、もうこれしか残されていない。背水の陣とはまさにこのことである。アライバルビザの申請書自体はネットからダウンロードできるため、ツレにそれを印刷してもらい、あらかじめ記入した上で日本を出立した。ひとりはVISAアリ、もうひとりはVISAナシという状況でインドに向かったのである。無謀を地で行く有様だ。

 

 

コーチンの悲劇

 今回のインドへの空路は以下の通りであった。まず成田からマレーシアのクアラルンプールへ向かい、そこからインドのコーチンで乗り継ぎ、ムンバイで入国という流れだ。このムンバイでアライバルビザを取得できれば、我々の完全勝利なのである。

 しかし、ここで僕たちは大きな勘違いをしてしまっていた。コーチンからムンバイへは、国際便でなく国内便の乗り継ぎである。つまり、僕たちがインドへ入国しなければならないのは、ムンバイではなくコーチンにおいてだったのである。これがどういうことを意味するか。インドのアライバルビザは、実はインド国内のどの空港でも取得できるワケではない。決められた6空港のみでしか取得できないのだ。インド大使館の公式ページにもこのような注意書きがある。

日本人を対象とする到着時ビザプログラムは、バンガロール、チェンナイ、デリー、ハイデラバード、コルカタ、ムンバイの6空港でのみ運用されています。 

 つまり、コーチン空港ではアライバルビザが取得できないのだ。しかしあろうことか、当時の僕たちは上記の大使館のページを読んでおらず、「図らずもコーチンでインド入国するハメになってしまったが、まァ多分いけるだろう」と呑気に入国カウンターに並んでいたのである。馬鹿である。くれぐれも後続のインド旅行者に伝えておきたいのは、リサーチは決して経験者のブログを読むことに終始せず、大使館のページも必ず確認するようにしてほしいということである。特にこうした手続き関連は時代や国際状況と共にどんどん変わっていくものなので(事実、インドのアライバルビザは2014年に一度廃止された経緯がある)、最新情報をその都度しっかりとチェックしておきたい。

 

 さて、入国審査は関係者同士でまとめることなくひとりずつ確認されるので、僕とツレはそれぞれ違うカウンターに座ったのであるが、スタッフの質問に答えている僕の視界の脇に、カウンターから立ち上がってスタッフと共にどこかへ去っていくツレの姿が見えた。最悪の事態であることはすぐに察しがついた。僕は拙い英語で、今カウンターを去っていった人物が自身の同行者であることを説明し、入国手続きを一時中断して、もと来た道を引き返した。ツレがどこに去ったか分からず随分とウロウロとして警備に不審がられたりもしたが、ようやく見つけたツレは、空港のすみっこのベンチが並んだスペースで、大量のインド人に囲まれているところであった。僕がツレと共に、空港職員たちから聞いた説明はこのような内容であった。

コーチン空港にはアライバルビザのカウンターがないので、これ以上先へ通すことはできない。我々にできるのは、ツレのひとつ前の経由地であるマレーシアのクアラルンプール空港へ、ツレを送り返すことである」

 しかもこれはVISAがない人に対してだけの特別措置なので、VISAを持っている僕は入国を済まさなければならないという。ツレと共に、マレーシアに引き返すことはできないのだ。

 とんでもないことになった、と湧き汗びっしょりであった。3週間の夢のインド旅行が、入国前に終了してしまうのか、とさすがの僕もめげかけた。不安は山ほどあったが、言われた通りにする以外他に方法があるワケでもなく、またムンバイ行の便の出発時間も迫っていたので、職員らのアドバイスを受けて僕たちは以下のように取り決めた。

  • 僕は当初の予定通りムンバイまで移動し、予約しているホテルで待機する。
  • ツレはマレーシアに引き返し、クアラルンプールから直接ムンバイに行く飛行機を取って、ムンバイから入国する。

 そしてホテルで合流、という流れだ。

 ツレと固く抱擁を交わして、僕はひとり、深夜のコーチン空港を後にした。不安と緊張で疲れ切って、ムンバイの空港のベンチで数時間爆睡をかましたりもしたが、無事にホテルへ辿り着き、そこで2日の間ツレの到着を待ちわびていた。ツレは翌朝までコーチンに缶詰めになった後、クアラルンプールに引き返し、そこでまた丸一日缶詰めになった後、ムンバイに突撃、無事インド入国を達成した。ホテルで再会した時の感動は筆舌に尽くしがたい。気分は映画のクライマックスシーンだった、背景がこんなお間抜けな映画ないだろうけど。

 しかし僕はホテルで休息を取れていたものの、ほとんど寝ないままこのようなゾンビアタックを成し遂げたツレには本当に頭が上がらない。マレーシアでは当局から謎の圧力も受けたようで、かなり疲弊したような内容のLINEも携帯に届いたが、それでもインド旅行を遂行したいという思いから不屈のメンタルで乗り切ってくれたツレに、惜しみない拍手と感謝の念を送りたい。ツレはこの疲れがたたってか、数日後に発熱して寝込むことになる。が、それも致し方のないことである。

 

 

これからインドへ行く皆さんへ

 自らの怠惰とリサーチ不足で、今回このようなトラブルを起こしてしまい、インドのコーチン空港の職員たちには多大な迷惑をかけてしまったが、彼らはとても親身に対応してくれた。見た目こそ強面ではあるが、英語がまるで聞き取れない僕たちに、翻訳アプリを通して懇切丁寧に説明をしてくれて、心配しないで、我々は貴方の味方です、という言葉を繰り返し言い聞かせてくれた。よほど僕が泣き出しそうな顔をしていたのだろうと思う。コーチン空港に缶詰めになっていたツレには、ランチなどもご馳走してくれたそうで、彼らの親切なくして僕たちのインド旅行はなかったと思う。彼らがこのブログを目にすることはないだろうけれど、この場を借りて改めてお礼申し上げたい。

 ということで、僕たちのようなトンデモ事態に陥らないために、これからインドへ行く皆さんへは、以下のふたつのアドバイスを残しておきたいと思う。

 まずひとつめ。VISAは、書類でもインターネットでも、できる限り早めに申請しておこう。e-VISAは便利ではあるが、僕のツレのように審査に落ちた際(普通は滅多に落ちないものなのけど)、大使館も取り合ってくれないためにリカバリが難しいという落とし穴がある。特に職業欄にWriterと記入する人は、VISAの種類は観光で良いのか、商用とすべきなのかといった疑問点があるので、あらかじめ大使館に確認をしておきたい。

 ふたつめ。もしe-VISAに落ちても、書類申請が間に合わなくても、諦めないでほしい。僕のツレのように、e-VISAに落ちてアライバルビザで入国を成し遂げた人がいる。よっぽどの危険人物なら話は別だけれど、大使館の公式ホームページに載っている「発給資格」条件さえ満たしていれば、アライバルビザは問題なく取得することができる。唯一の注意点は、どの空港で入国するか、ということ。先述の通り、バンガロール、チェンナイ、デリー、ハイデラバード、コルカタ、ムンバイの6空港しかアライバルビザを発行してくれないので、くれぐれもコーチンで入国するハメになった僕たちの二の舞にはならないでほしい。

 

 かつてはそのあまりの煩雑さから、「インドの旅はビザを取ることから始まる」とまで言われたインドVISAだが、今はネットやアライバルといった取得方法も増えたので、かつてと比べればよっぽどスムーズに取れるようになっていると思う。仮にVISAでつまづいたとしても、それでインド旅行を諦めてしまうのは、あまりに、あまりにもったいない。のっけからつまづくどころか転がり落ちるレベルで大コケした僕たちではあるが、それでも諦めずにインド旅行を敢行して本当に良かったと思っている。それだけ、インドは行く価値のある美しい国だった。帰国してまだ4日しか経っていないくせ、すでにインドに帰りたいくらいだ。このブログが、これからインドに行く人の、VISAという名の第一関門を突破する手助けになれば嬉しい。

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すべてのやるせなさに贈る、モダンスイマーズ『ビューティフルワールド』

 

 観劇日からもう1か月も経ってしまいました。

 6月16日(日)、東京芸術劇場シアターイーストへ、モダンスイマーズの結成20周年記念公演『ビューティフルワールド』を観に行ってました。

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  感想を書こう書こうと思いながら、なかなか筆が(タイプと言うべきか)進まなかったのは、面白くて下手に言語化できなかったというのもあるのですが、このお芝居が僕の胸の痛いところに刺さりすぎて、書くことで自身の傷をえぐり返すような感覚に陥ってしまう、というのが一番大きかったように思います。

 さすがに観劇から一か月を経て、大量出血だった胸の傷にも分厚いかさぶたができてきた頃なので、自身の備忘録としてきちんと感想を書いておこうとようやく筆を執った(PCを立ち上げたと言うべきか)次第です。

 

  • What’s モダンスイマーズ
  • 『ビューティフルワールド』あらすじ
  • 散りばめられた小ネタのユーモア
  • 「どうしようもないやるせなさ」
    • 1. 夢を失い現実にくたびれた人間の哀愁や、いまだに夢を忘れられない姿
    • 2. 引きこもりの息詰まり感、肩身の狭さ
    • 3. 男女が愛し合い続ける難しさ
  • このろくでもない、素晴らしき世界

 

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